戦時下の陶磁器産業における製造、流通への考察 -戦時統制と製品-

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2017 年度 学位論文(博士)

戦時下の陶磁器産業における製造、流通への考察

-戦時統制と製品-

Ceramics Production and Distribution during the Wartime Regime

: Wartime Regulations and Products.

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目次 序 章 日本の近代陶磁器産業 -1 1. はじめに -1 1.1 本論の目的 1.2 日本の近代陶磁器産業の沿革 1.3 戦時下における業界の様相 2. 本論の前提条件 -4 3. 本論の構成と方法論 -4 4. 戦時下の陶磁器産業研究の事例紹介 -7 4.1 基本的文献 4.2 各論研究 4.3 参考文献中における統制番号の位置づけ 5. おわりに -10 第 1 章 陶磁器産業と戦時統制 -11 1. 業界の組織化と戦時統制 -11 2. 陶磁器産業における工業化と組合結成の様相~美濃における事例 -11 2.1 概略 2.2 美濃陶磁器同業組合の推移 3. 専制権の復活と岐阜県陶磁器工業組合連合会の設立 -13 4. 日本陶磁器工業組合連合会による初期の統制事業 -14 5. 統制経済下における日陶連の権限拡大 -15 6. 公定価格の制定と価格統制の推移 -21 6.1 日中戦争下の物価対策 6.2 公定価格制度の採用と価格表示の例

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6.3 価格査定制度の開始 7. 陶磁器製品における公定価格制度 -23 7.1 公定価格の根拠法令 7.2 価格決定の経緯 7.3 全国製品への拡大 7.4 等級区分の根拠 7.5 公定価格制度における日陶連の業務 7.6 価格決定の経緯 8. 陶磁器製品の流通と戦時下の配給統制 -28 8.1 陶磁器製品流通の問題点 8.2 公定価格制度下における流通の例 8.3 共同販売制への移行 8.4 日本陶磁器商業組合連合会の結成 8.5 陶磁器製品の配給 8.6 共販制度導入当初の様相 8.7 企業整備の実施と日陶連への権限集中 9. おわりに -33 第 2 章 いわゆる「統制番号」に関する検証 -34 1. 「統制番号」とは -34 2. 統制番号を標示した根拠 -34 2.1 統制番号標示の目的 2.2 日陶連統制の前例 2.3 統制番号導入による成果 3. 各生産地における生産者への統制番号の付与 -37

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3.1 各組合での事例 4. 標示の名称についての考察 -41 4.1 生産地および番号についての表記の相違 4.2 番号付与に関する各産地と日陶連の関係 4.3 「組合記号」に関する考察 5. 統制番号と商標、裏印の併記 -42 5.1 商標、裏印による統制番号の代替 5.2 日本陶器株式会社の事例 5.3 各組合での事例 6. 製品への統制番号の標示方法 -47 6.1 標示方法の分類 6.2 規定によらない標示方法 6.3 標示された部位と書体の種類 6.4 標示に使用した道具類 7. 検査格付 -51 7.1 検査格付とは 7.2 格付の根拠基準 7.3 波佐見陶磁器工業組合における運用 7.4 日陶連検査所の設置 7.5 伝世品に残る格付の様子 7.6 市中在庫品への格付 7.7 検査員による査定検査の事例 7.8 伝世品にみる格付証票 7.9 格付に関わる文書史料の検討 7.10 格付品生産実績集計の意義

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7.11 価格査定機関としての日陶連 8. 戦争末期の様相 -65 8.1 企業整備の断行 8.2 「陶磁器工業整備要綱」が各工業組合に及ぼした影響 8.3 全国陶磁器統制組合への改組 8.4 自治統制の終焉 8.5 生産計画外製品の製造 9. 終戦後の価格統制の変遷 -71 9.1 格付査定機関の変遷 9.2 終戦直後の混乱 9.3 終戦後の陶磁器製品への価格統制 9.4 全国陶磁器統制組合の解散と後継団体 9.5 終戦後における価格査定の事例 9.6 陶磁器製品への価格査定制度の変遷 9.7 陶磁器製品の価格推移の検討 10. 統制番号の標示されていた期間 -76 10.1 始期 10.2 終期 11. おわりに -78 11.1 統制番号標示に関する結論 11.2 解明の意義 11.3 陶磁器業界全体への統制と統制番号の位置づけ 11.4 今後の課題 第 3 章 三式地雷薬匡の研究開発に関する考察 -81

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1. はじめに -81 2. 研究開発の経緯 -82 2.1 着手 2.2 開発の要件 2.3 第 1 回試験 2.4 第 2 回試験 2.5 第 3 回試験 3. 完成 -88 3.1 研究中間報告と命名 3.2 仕様書の調整 3.3 研究の終了 4. 陶磁器産地における生産 -94 4.1 信楽地方 4.2 信楽以外の生産地 5. 信楽に関する史料 -96 5.1 信楽町への視察記録 5.2 滋賀県立窯業試験場作成の工程図 6. 生産地の条件 -103 6.1 信楽と丹波に共通する条件 6.2 生産地決定に関する当時の状況 6.3 信楽の戦後の伝聞記事 7. 生産の様相 -106 7.1 信楽における状況 7.2 信楽における聞き取り調査 7.3 丹波における状況

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7.4 地雷生産を担った生産地の意図 8. 伝世品の検討 -109 8.1 地雷薬匡(大) 8.2 製造途中の地雷薬匡 8.4 丹波における製品 9. 三式地雷薬匡製造に関する統括 -111 9.1 生産された品種 9.2 代用品であるか 9.3 「本土決戦用兵器」としての使用 9.4 生産数の推移 10. おわりに -114 10.1 終戦後の状況 10.2 陶磁器産業における位置づけ 第 4 章 伝世品に見る戦時下の陶磁器の特徴と傾向 -117 1. はじめに -117 2. 岐阜県 -118 2.1 岐阜県陶磁器工業組合連合会の傘下組合 2.2 事業内容 2.3 統制品種の割り当てと生産品種傾向 2.4 地域的特徴を有する製品 2.5 技法的特徴を有する製品 2.6 銘等から年代が判明する製品 2.7 輸出向けや土産品としての製品 2.8 戦時下ならではの製品

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3. 愛知県 -128 3.1 瀬戸陶磁器工業組合(愛知県東春日井郡瀬戸市) 3.2 品野陶磁器工業組合(愛知県東春日井郡品野町〈現瀬戸市〉) 3.3 常滑陶磁器工業組合(愛知県知多郡常滑町〈現常滑市〉) 3.4 名古屋陶磁器工業組合(愛知県名古屋市) 3.5 三河土器連合組合(愛知県碧海郡高浜町〈現高浜市〉) 4. 三重県 -134 4.1 萬古陶磁器工業組合(三重県三重郡四日市市) 4.2 伊賀焼陶磁器工業組合(三重県阿山郡丸柱村〈現伊賀市〉) 5. 佐賀県 -136 5.1 有田陶磁器工業組合(佐賀県西松浦郡有田町) 5.2 藤津陶磁器工業組合(佐賀県藤津郡) 6. 福島県 -139 6.1 会津陶磁器工業組合(福島県大沼郡本郷町〈現会津美里町〉) 6.2 相馬陶器工業組合(福島県双葉郡浪江町大堀) 7. その他の他府県 -140 7.1 信楽陶器工業組合(滋賀県甲賀郡信楽町〈現甲賀市〉) 7.2 京都陶磁器工業組合(京都府京都市) 7.3 波佐見陶磁器工業組合(長崎県東彼杵郡波佐見町) 7.4 岡山県陶磁器工業組合(岡山県和気郡伊部町〈現備前市〉) 7.5 伊予陶磁器工業組合(愛媛県伊予郡砥部町) 8. 伝世品に見る統制陶器の概観 -145 8.1 地域的特徴 8.2 生産品種 8.3 施された技法

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8.4 おわりに 第 5 章 陶磁器代用品の誕生と発展 -148 1. 代用品とは -148 2. 代用品前史 -149 2.1 国産品愛用運動のはじまり 2.2 運動の目的 3. 日中戦争の勃発と応急的対策 -151 3.1 「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律」の制定 3.2 繊維品への対策 3.3 戦時代用品の成立 4. 物資動員計画の策定 -154 4.1 総合的な物資需給計画 4.2 計画の実効性困難 4.3 代用品の使用強制 4.4 使用制限された主要資源 4.5 「国家総動員法」の成立 5. 代用品の定義 -156 5.1 被代用品の分類 5.2 金属代用品成立の前提となる法律 5.3 戦時代用品の要件 6. 代用品の製造促進と使用普及に関する関係機関 -159 6.1 政府内における審議機関 6.2 民間機関 6.3 優良代用品の選定

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7. 政府による代用品奨励政策 -164 7.1 代用品製造に関する問題点 7.2 3 つの補助金政策 7.3 公的研究試験機関による代用品の試験指導 8. 「公定代用品」の選定 -170 8.1 商工省選定代用品 8.2 優良代用品の選定 8.3 「商工省選定代用品」と「日商選定新興品」との関係 8.4 官庁における代用品使用奨励 9. 代用品普及に関する展覧会開催 -175 9.1 民間による展覧会 9.2 政府主催展覧会の開催 10. 陶磁器工業と代用品 -180 10.1 日中戦争勃発当時の陶磁器業界 10.2 陶磁器代用品の登場 10.3 業界の対応 10.4 日陶連による代用品陶磁器の指導奨励 10.5 触火器の研究開発 10.6 陶磁器代用品の発展経緯 10.7 陶磁器代用品製造の振興策 10.8 流通のための新会社 10.9 化粧品業界の容器飢饉と陶磁器製容器 11. 金属類特別回収と代用品 -205 11.1 金属類特別回収 11.2 回収に伴う代用品

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11.3 物資利用委員会からの答申 11.4 陶磁器業界の対応 11.5 火鉢にみる代替品交換の例 11.6 寺院からの仏具回収と代用品 11.7 学生服のボタン回収 11.8 金属類特別回収における代用品協会の役割 12. 戦争末期の代用品 -223 13. 終戦と代用品生産の終焉 -224 14. おわりに -228 第 6 章 結論 -238 1. 本論を執筆した機会 -238 1.1 統制番号への関心 1.2 陶製地雷に取り組むきっかけ 1.3 伝世品による紹介 1.4 代用品の総合的研究 2. 本論の統括 -240 2.1 統制下の陶磁器産業 2.2 戦時統制の開始 2.3 統制の強化 2.4 末期的様相と統制の終焉 2.5 戦時統制の遺産 3. おわりに -245

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註 -247 参考文献 -270 添付資料 図 図 2-1 ~ 図 5-33 表 表 1-1 ~ 表 5-2 史料 史料一 ~ 史料三六 既発表論文リスト

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1 序 章 日本の近代陶磁器産業 1. はじめに 1.1 本論の目的 本論は、日本が戦時体制下におかれた昭和12 年 7 月の日中戦争勃発以降から統制が解除 される昭和20 年代前半までの陶磁器産業について、この時代の特異性に焦点を当て製造と 流通への考察を行うものである。 研究手法としては、それらにまつわる史料、伝世品、聞き取り調査等を用いて多角的な立 場から検討し、より具体的に当時の様相を明らかにする事に重点を置いた。戦時下というこ とで類推と一元的に語られることが多かった陶磁器産業の活動について実証的に検証を行 うことを本論の目的とする。 まずはじめに、本論で取りあげる陶磁器についての定義づけを示す。窯業としては陶磁 器、耐火煉瓦、セメント、ガラス工業等と大別されるが、その一分野である。いずれも土 石、鉱物等の天然資源を用いて製造されるものであり、その原材料の多くは国内において 産出されている。ただし、工業化の進展により石炭窯が導入された事によって焼成材料と しては多くを輸入に依存するようになった。 一様に陶磁器又はやきものと称しても、その種類は多岐にわたる。製造工程を概観すれ ば、土石を材料として成形、焼成して造られる点においては共通している、製品としての その種類は、以下のように大別できる。 (名称・原料・焼成温度・釉薬の有無・透光性) 磁器 陶石 1300~1400℃ 有 半透明 炻器 陶石 900~1400℃ 無 不透明 陶器 陶土 900~1200℃ 有 不透明 土器 陶土 700~800℃ 無 不透明 ただしこれらは焼き上がったものの品質による分類であり、同一のものでも焼成方法に

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2 よって陶器にも磁器にもなる。 焼成温度の上からいえば、土器が最も弱火度で土が締まったという程度であり、素地に 気孔があるので吸水性を有す。 陶器は焼成火度の範囲は広いが火度は高くない。釉薬を施すので表面は水を吸わないが、 素地は土器と同様に吸水性を有し、叩けば濁音で素地は不透明である。炻器の火度は高く 吸水性はなく、叩くと金属音を発してしかも硬い。であるが多くの素地は有色不透明であ る。一方、磁器になると素地は半ば溶融して半透明となり、白色を特徴とする。従って磁 器が最高度で品質は最良のものである。陶磁器の呼び方として、瀬戸物や唐津物(あるい は単に「セト」「カラツ」)という言葉も多く用いられるが、これは英語で陶磁器を総称し て「チャイナ」と呼ぶのと同様に、昔より尾張の瀬戸、九州の唐津が盛んな製造地又は集 散地だったところから、土地の名称が陶磁器の総称に転化したのである。 一方で陶磁器の用途は飲食器が主であるが、和食器と洋食器ではその種類や製造技法が 大きく異なっている。その他は花瓶、香炉等の什器、瓦、煉瓦、タイル、土管等の建築材 料、便器や洗面台等の衛生陶器、電気絶縁材料、耐酸性材料等多岐にわたっている。 1.2 日本の近代陶磁器産業の沿革 日本の陶磁器の沿革は極めて昔から存在しており、その源流は縄文式、弥生式土器にまで さかのぼることができる。土器の段階から次第に進んで、陶器、炻器、磁器の順に発達した。 日本の六古窯といわれる瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前、越前が歴史に登場するのは、鎌倉 から室町時代のことであるが、近代陶業の主流となった磁器が開発されたのは江戸時代の 事であり、西欧その他への輸出も開始されている。 江戸時代の陶磁器産業は概ね各藩の保護下で発達を遂げたが、特に中期以降藩財源確保 等の意味合いから主要産地では様々な保護手段がとられる一方、その生産、販売にわたり統 制が加えられていたのである。その後明治時代に入るが、明治維新は政治上のみならず産業 上の変革でもあった。これまでの藩の庇護を失い困窮に陥るものも多かった。一方で新政府

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3 がすすめた各種工業に関する奨励保護は、陶磁器産業にも大きな影響を与えた。西欧から石 膏型、西洋絵具、石炭窯などの新技術や設備、経営、原材料等が相次いで導入され、実用品 の大量生産が可能となり、これまでの手工業の形態から近代工業へと発展する契機となっ た。日露戦争以降、第一次世界大戦を経て、内需はもちろんのこと輸出の拡大がその後の発 展を促進した。 昭和時代を迎えると、第一次世界大戦当時の異常な経済膨張への反動と、国内および世界 恐慌の影響を大きく受けた。それは具体的には製品価格の下落と輸出の不振といった形で あらわれ、製造業者は甚大な打撃を受けた。特に問屋資本の支配下に置かれていた中小業者 は、問屋の廉売競争の影響を受け、赤字生産を強いられる状況であった。このような生産者 への抑圧が、陶磁器工業組合設立の一つの契機となったのである。 1.3 戦時下における業界の様相 日中戦争の勃発と続く太平洋戦争への突入は、陶磁器産業へも多くの変革をもたらし た。日中戦争下においては軍需品の需要が優先された結果、輸入原料の制限を受ける一方 で、外貨獲得の手段として輸出が振興された。一方で軍需生産に欠かせない工業用陶磁 器、例えばエンジンのスパークプラグや工業用耐酸容器等への需要、新たに登場した金属 代用品への需要も高まり、生産額自体は上昇する傾向にあった。この間、公定価格の制定 等価格統制が実施され、同時に陶磁器を流通する仕組みとして生産者組織による共同販売 制度が導入された。 太平洋戦争中には輸出の多くが途絶し、元々輸出依存度が高かったこの業界へ大きな打 撃を与えた。事業者は企業整備により縮小され、政府による計画生産が実施された。飲食 器等の生活用品の生産は激減したが、代用品や工業用陶磁器の生産は政府の庇護を受けて 生産を維持した。また、計画外生産品として軍需品および生産拡充品の製造も加わった。 終戦後しばらくは、復興用資材としての需要が高まり活況を呈した。戦時中に統制のた めに強化されていった団体は解散し、やがて新たな組織が誕生した。更に、貿易の再開に

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4 より再び輸出も回復していった。 2. 本論の前提条件 本論で用いる用語と定義については、本研究は日本国内の歴史を対象とした史料研究で あるため本文中の年号表記は和暦とする。ただし、引用・参考文献の発行年は西暦で示 す。史料の旧仮名遣いはそのままとし、漢字は原則として常用漢字等に直した。ただし人 名・地名で使用されている旧字はそのままとした。 研究の対象年代は、表題で「戦時下の陶磁器産業」としているが、本論は主に戦時体制 下における陶磁器への統制について解明しようするものである。後に詳述するが、「戦時 統制」とは、概ね日中戦争後に加えられた各種の制限を開始とする。また、その終わりに ついては、戦後もその体制は継続されているため昭和20 年 8 月の太平洋戦争終結ではな く、戦後の公定価格撤廃を終期とする。すなわち、概ね昭和12 年から 24 年頃までの期間 を研究対象として取りあげる。 本論で用いる資史料のうち、所蔵元を示していないものは筆者の所蔵品である。 3. 本論の構成と方法論 本研究の手法と目的について示す。本論は、序章、第1 章から第 6 章で構成する。各章 のテーマに沿って、法令や規定等の史料を基に、陶磁器産地における記録、聞き取り調査 等を複合的に取り入れ、当時の様相がどのようなものであったかをあらわすことを主眼と している。特に第2 章から第 5 章に関しては今日に現存する製品、すなわち伝世品をも活 用し、製品にあらわれた特徴について適切に解説を加え、理解を助ける手法を取ってい る。以下に各章の研究目的と構成の概略を述べる。 序章 日本の近代陶磁器産業では、全体の研究の目的を明らかにした上で、各章の構成 と方法論について概略を明らかにする。更に戦時期の陶磁器産業や製品について取りあげ た先行研究の事例紹介を行う。

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5 第1 章 陶磁器産業と戦時統制では、陶磁器産業における工業化の過程と組合組織の発 達について、更には業界に対し種々の戦時統制が行われていった様子を明らかにすること を目的とする。 研究手法として、戦時統制に至る以前の日本の陶磁器産業の様相について、当時の日本 において高い生産比率をもつ産地であった美濃を例に検討を行う。 戦時統制とは労力、資材、資金の各面において段階的に多くの法令等を根拠に行われて いるものであるが、その運用にあたり大きな権限と役割を果たしたのは、昭和6 年に設立 された日本陶磁器工業組合連合会(日陶連)という組織であった。日中戦争勃発以降、生 産に必要な輸入原材料の輸入権を政府から付与されることとなり、政府の統制体制の代行 機関のような全国的な役割を担うようになっていった。そのため大多数の組合が日陶連に 加盟することとなり、結果的に全国の生産者に対して強大な権限を有するようになった。 ここでは、資材配給、価格の協定、共同販売といった事柄を中心に取りあげ、統制が強化 されてゆく過程の中で日陶連が陶磁器産業に与えた影響を明らかにする。 第2 章 いわゆる「統制番号」に関する検証では、戦時期に生産された陶磁器に標示さ れていた、いわゆる統制番号に着目した検証を行う。統制の一形態である価格統制に際 し、その対象品目であることの証として個々の製品に標示を義務付けられたいわゆる統制 番号を通じて、それがどのような性質のものであるかについて明らかにし、この標示の過 程をめぐる陶磁器産業の製造と流通体制の変化を考察する。 ここで明らかにしようと試みるのは主に、 統制番号を標示した根拠(「なんのために」) 各生産地における生産者への番号の付与(「どのように」) 製品に標示されていた期間(「どれだけの間」) の 3 点についてである。なお本稿においては標示そのものがどのような名称を用いられ ていたかについても考察するが、便宜的に統制番号の語句を用いるものとする。 研究手法として、主たる基本史料としたのは日陶連の内部規定である「日本陶磁器工業

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6 組合連合会定款」による。この「定款」に明記された条文の他、各地の工業組合、生産者 の元に残された史料等、複数の資料の記述を元に、各産地に残る史料や伝聞等を多角的に 検討し、統制番号をめぐる戦時統制の様子を明らかにしようと試みる。 公定価格が設定された当初は、まだ製造業者、卸売業者、小売業者お総てを包含する共販 制は実施されておらず、統制番号の標示が定められた当初から陶磁器の生産から販売まで 完全に統制下に入れたものではなく、段階的な統制の拡大とともに卸小売業者をも包含し た共販制、計画生産へと発展していき、結果として初めに想定されていた役割から、公定価 格品の計画生産および流通に裏付けを持ち、出所を追求可能とするための手段といった重 要な意味付けを持つものへと変貌していったと考察される。 第3 章 三式地雷薬匡の研究開発に関する考察では、陶磁器産業による軍需製品製造の 一例として、いわゆる「陶製地雷」(制式名称「三式地雷薬匡」)に着目し、その研究開発 の過程と産地での製造の様相を明らかにする。 研究手法として、主たる基本史料としたのは陸軍技術研究所「爆火 地雷(其ノ一)研 究原簿」による。陶器(正確には炻器)で製造されていることから、これまで金属材料を 転換した代用兵器だと類推されていたが、この研究原簿によればあらかじめ示された種々 の条件下に適合するように開発され、いくつかの材料を比較した上で陶器製が採用された とある。実際の生産は信楽(滋賀県)と丹波(兵庫県)で行われたが、その産地での様相 についても考察する。 第4 章 伝世品に見る戦時下の陶磁器の特徴と傾向では、「統制番号」の標示された伝 世品を画像と共に紹介し、製品の地域的な特徴、生産品種、施された技法について検討を 行う。戦時統制下において強大な権限を有した日陶連によって、日陶連未加盟業者や公定 価格非設定品を除き全国すべての産地で生産された製品に統制番号が標示されたというこ とは、結果として日本の陶磁器史上他に類を見ないわずか6 年程という生産期間、および 生産地の特定が可能という特異な製品を生み出すこととなった。その性質を活かし、本来 各産地において立地、原材料、技術等の要件により明確にあらわれた特徴の一端を紹介す

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7 る。 研究手法としては、上記の性質に着目し、今日に残る伝世品を元に個々の特徴を取りあ げ、各産地において実際にどのような製品が生産されていたかの一端を解析しようと試み るものである。伝世品を切り口として展開する目的として、日本国内における特定期間に 製造された製品上に、各産地の当時の様相や、地域的な特徴、当時用いられていた意匠や 技法、がいかに現れているかを精査し、その背景と製品の傾向について実証的に検証を行 う。 第5 章 陶磁器代用品の誕生と発展では、戦時下に登場した代用品についていま一度そ の定義についても検討を行った上で、それらの登場といかに発展していったかの過程をた どる。一口に戦時下の製品といえども、昭和12 年の日中戦争勃発当時と戦時体制が確立 されてゆく経過、更には金属類特別回収が実施されてからでは、代用品の目的も対象も変 化していったのである。その経緯を、政府が行った施策や、普及や開発にあたった団体の 活動から検証を行う。 次に代用品の中でも陶磁器代用品について着目し、前章までに検討を行ってきた戦時下 の陶磁器産業における位置づけについても論考を行う。また前章からの研究成果を踏まえ、 登場の経緯と発展の過程、そして個々の製品についても考察してゆきたい。 研究手法としては、当時の書籍や新聞雑誌、パンフレットや文書に至る多種多様の史料 を活用した。それらの史料を多角的に検討することによって、代用品の輪郭を描き出すよ うに試みた。また、陶磁器代用品についても同様の手法をとるが、ここでは更に伝世品の 紹介により、具体的にどのような製品が流通していたかを紹介する。 第 6 章 結論では、これまで見てきた史資料を振り返り、戦時下ということで類推と一 元的に語られることが多かった陶磁器産業の活動についての実証的な統括を行う。 4. 戦時下の陶磁器産業研究の事例紹介 4.1 基本的文献

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8 本論に入る前に、これら統制経済下の陶磁器産業について取り扱った先行研究について 見てみたい。経済史・経営史の側面から近代の陶磁器産業を扱ったものはいくつか見られる が、その中にこの時期を取り扱ったものはほとんど見出すことができない。例えば、近代産 業としての陶磁器業を実証的に分析した、宮地英敏の著作1においても対象年代は「両大戦 間期」までとしており、第二次世界大戦期には及んでいない。 業界史的なものとしては、陶磁器産業の全国的業界団体である日本陶業連盟から1979 年 に発行された三井弘三の著作2は、産業としての陶磁器について明治以降の技術導入、新分 野の開発、貿易等広範囲にわたって概説を記したものである。三井は大正2 年生、昭和 8 年 以来日本陶磁器工業組合連合会(日陶連)に在職し、後に関連会社等を経て日本陶業連盟専 務理事を務めた人物である。戦時統制下の状況についても、当時本人が実際に携わった統制 業務について多くの示唆を与えており、当事者が語るこの分野における唯一の書物である といえる。 東洋経済新報社が『東洋経済新報』創刊55 周年事業として発行した全 3 巻の産業史は、 太平洋戦争前後の産業構造の変化の解明を大きなテーマに、昭和元年から25 年までの我が 国各産業の変化・発展をまとめたものである。その中の一章として「陶磁器工業」3を紹介 しているが、商工省、日本陶業連盟資料からの引用も多く、統制終了後の比較的早い時期の 出版物として、当時の業界の生々しい様相を伝えている。 各生産地の活動としては、長崎県波佐見の福重菊馬による工業組合史4があり、製造業者 と組合役員の双方の視点から著している。福重氏は明治39 年生、昭和 7 年より家業の製陶 業に従事し、後に株式会社幸山苑取締役会長、波佐見陶磁器工業組合理事長を務めた人物で ある。特に、実際の現場での統制運用上の実務の煩雑さや統制違反、等の証言は他に類書を 見ない。 4.2 各論研究 次いで各論の研究として、第 2 章で考察する、陶磁器産業が統制下に置かれていた一定

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9 の期間、陶磁器製品に標示されていたいわゆる「統制番号」を取りあげた文献等をあげる。 用語として、「統制番号」を用いた初出は1988 年の天内克史によるものと思われる。5 こでは、東京の4 遺跡から出土した資料および伝世品を「遺物一覧表」としてまとめ考察を 加えた上で、「統制番号がどのような過程で付けられたかについて、決定的な資料は未だ見 い出すことはできないが、統制経済の浸透がそれを促したことは間違いがないと言えよう」 と論じ、問題提起に留めているものの従来見過ごされてきた「統制番号」について着目した という点において、その後の特に近現代を取り扱う考古学の上で大きな影響を与えたとい える。 1994 年に瀬戸市歴史民俗資料館(現・瀬戸蔵ミュージアム)で開催された特別展におい ては、同展図録6中、「コラム 統制品」として4 つの製品の図版と共に「統制番号」が紹介 されている。完形の伝世品の紹介において、統制番号に着目した意義は大きい。 本格的な研究の嚆矢は1999 年に桃井勝による、昭和 16 年 3 月に岐阜県陶磁器工業組合 連合会(岐陶工連)によって定められたリストの翻刻掲載によるものであろう。7 美濃にお ける岐陶工連傘下の生産者と統制番号を一致させられる、現在のところ全国の陶磁器産地 において唯一の史料として発見、紹介されたことの意義は大変に大きい。これらの研究成果 を踏まえて開催された、2001 年岐阜県陶磁資料館での特別展『戦時中の統制したやきもの』 は、統制番号入り製品を生産者名と併せて紹介するという、前出のリストにより番号と生産 者が一致している美濃製品ならではの特徴を活かした画期的なもので、出品資料の記録集8 も発刊され統制番号の一般への認知が飛躍的に上がった感がある。統制番号が標記された 陶磁器に焦点を当てた展覧会としてはおそらく初めて開催されたものであろう。 沼崎陽は1999 年、前出の岐陶工連リストを発見者の桃井から提供を受け、記載内容の一 部紹介、登載や出土品への標示等について考察を加えている。9 佐賀県立九州陶磁文化館は、伝世品に見られる多くの銘を収集し、聞き取り調査等により 解説を加えた資料集10を発刊し、江戸末期から現代までの近現代・肥前地区窯元の銘款約 1,500 点を収録しているが、その中の一部で統制番号を紹介している。これはリストの形で

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10 現存していない地域の研究として、丹念に史料と窯元の由来、そして伝世品とを照合させた 大部であり、他に類を見ない地域的研究であるといえる。 有田町歴史民俗資料館での2008 年の展覧会は、技術保存(マルギ)に指定された有田焼 製品に着目したものであるが、参考資料として同時代の製品である統制番号入り陶磁器が 取りあげられた。同展図録11の巻末には、「概説」として戦時中の有田における出来事がま とめられており、一産地における様相の事例としても興味深い。 瑞浪市陶磁資料館での2011 年の特別展では、瑞浪市域で生産された製品を紹介し、その 地域的な傾向を示し、当時の製品に見られる他の事象について解説を行っている。また、同 展図録12中で統制番号について考察している。 4.3 参考文献中における統制番号の位置づけ これらの先行研究においては、統制番号の存在に着目し紹介しているものの、その性格に ついては断定に至っておらず、類推の中には結果的に事実と異なる見解を示している場合 もある。つまり、器物として比較的伝世しやすい陶磁器ではあるが、一方の文献史料等は極 端に残存が少なく、そのアンバランスさから明確な結論を得られてこなかったといえる。 5. おわりに このような先行研究の成果を踏まえ、筆者が収集した史料、文書、聞き取り調査や伝世品 から読み取れる類推等を踏まえ、次章以降で検討を加えることとしたい。

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11 第 1 章 陶磁器産業と戦時統制 1. 業界の組織化と戦時統制 陶磁器産業における工業化の過程と組合組織の発達について、当時の日本において高い 生産比率をもつ産地であった美濃を例に検討を行う。更には、陶磁器産業への戦時統制への 影響を明らかにするため、昭和6 年に設立された日本陶磁器工業組合連合会(日陶連)の権 限拡大の過程をたどる。地方の業界団体として発足した日陶連が戦時下に実施された生産 の調整、価格の協定、共同販売、又は検査といった権限をいかにして有していったかを紹介 する。 2. 陶磁器産業における工業化と組合結成の様相~美濃における事例 2.1 概略 岐阜県南東部の東濃地方で生産されるやきものを美濃焼と総称する。東濃地方は、戦前に は土岐、恵那、可児、加茂の4 郡を総称していた。現在の岐阜県陶磁器工業協同組合連合会 には、笠原、滝呂、市之倉、高田、土岐、津、泉、肥田、土岐津西部、下石、妻木、駄知、 瑞浪、恵那 14 組合が加盟している。これらの地域にはやきものの原料となる粘土や焼成 のための樹木が豊富で、古くから生産されていた。 江戸時代には藩の重要な特産品であった陶磁器に対して、産業の保護と同時に濫造を防 ぐために窯株制が布かれていた。この制度下では、窯株を持った者でなければ窯を築いて陶 磁器を製造することができなかった。 明治維新後に窯株制が廃され自由な生産・販売体制となってからは、製品の種類も漸次増 加し技術も進歩を遂げ、製造される製品の多くを磁器が占めるようになった。一方で価格の 低迷や過当競争がしばしば繰り返されることとなる。また比較的早い時期から従来の和物 に加え輸出も視野に入れた洋食器や装飾品の生産も始まった。特に大正時代以降は、製造工 程における発動機等の機械化、焼成窯の石炭化が急速に進み、比較的単価の低い日常食器類、

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12 白素地製品生産の傾向が強まった。 陶磁器の戦時下における統制について論ずる前に述べておかなければならないのが、陶 磁器の製造、販売における自治的統制機関の発達についてである。日本の陶磁器産業は古い 歴史をもつ工業分野であるが、明治時代以降急速に新たな技術や様式を取り入れて発展し、 輸出工業製品としても大きな比率を占めていた。生産にあたっていたのは、ほとんどが一工 場当たりの従業員が数名という零細な家内工業形態をとっているもので、大規模な工場生 産を行っていたのは輸出用食器等を製造していた一部の企業に過ぎなかった。地域的には 東海3 県(愛知、岐阜、三重)で過半数が生産されており、その他は全国に小規模な生産者 が点在する状況であった。 2.2 美濃陶磁器同業組合の推移 これらの流れを美濃陶磁器同業組合に所属する組合員の業態・生産額の推移により見て みたい。美濃陶磁器同業組合は、明治28 年(1895)3 月岐阜県令第 18 号「陶磁業取締規 則」の公布がされると翌明治29 年土岐、可児、恵那の 3 郡を区域として陶磁器製造業並び に錦窯焼付業を営む者を組合員として岐阜県陶磁業組合の設立認可を得、更に明治33 年 3 月「重要物産同業組合法」の発布がされると従来の地域を土岐、可児2 郡として美濃陶磁器 同業組合設立発起がなされ、協議を重ねた結果翌明治 35 年 5 月に認可となった組合であ る。恵那には明治44 年 5 月岐阜県恵那郡陶磁器同業組合の認可をみ、昭和 5 年 9 月には恵 那郡陶磁器同業組合を合併した。1 表 1-1:濃陶磁器同業組合の組合員数 2 表 1-2:同窯数 表 1-3:同生産額 表1-1 で見るように、美濃陶磁器同業組合の組合員数、すなわち陶磁器製造業数は、大

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13 正15 年の 1,390 軒をピークに、昭和にかけて 1,200 軒後半で推移している。この数字は第 3 章で取りあげる、昭和 16 年 3 月岐阜県陶磁器工業組合連合会「生産者別標示番号(統制 番号)」掲載の業者数と大差なく、企業合同・整備により合併や廃業を余儀なくされるよう になるまでの昭和前期における美濃焼の規模といえる。その多くは零細な家内工業により 行われていた。 表1-2 の登り窯数と石炭窯数の比較では、石炭窯がやはり昭和に入る頃に急激な伸びが 見られるが、一方の登り窯が単純に廃止されるというわけではない。明治末より導入された 石炭窯は、当初の困難を克服し生産性の向上および燃料費の軽減に大きく貢献した。 表1-3 の生産高は、景気に左右されるものであるので、必ずしも単純に製造業者数や製 造技術の発達と比例するものではない。この期間でも第一次世界大戦時の好況、戦後不況、 機械化と石炭窯導入による製造効率向上などがある。しかし大正時代中期には内地向けと 輸出向けの生産高が4~6 割ずつで推移している。このように輸出向けに大きな比率を占め ることが、陶磁器産地の中でも美濃焼の大きな特徴の一つである。 3. 専制権の復活と岐阜県陶磁器工業組合連合会の設立 このような状況下、粗製濫売を防止し経済上の安定を図ること等を目的として同業組合 が設立され、専制権制度が確立された。専制権とは、製造品種のうち特に重要と認められる 品種ならびに人員を限定、統制することである。つまり地域ごとに製造品種・数量を割り当 て、それ以外の製造を制限することによって過当な競争を避け、製品の品質安定を図ろうと するものであった。理念としては誰もが持ち合わせている認識ではあるが、現実に実行する には、各地域・製造業者の利権対立等で難しい問題であった。 日露戦争、第一次世界大戦を経て急速に輸出の比率を高めた陶磁器産業は、昭和初期の経 済不況下において問屋商社の廉売競争の犠牲が転嫁された結果、業者乱立、濫造乱売、過当 競争が問題とされ、生産者業界としての組織化、検査の強化等の統制を図るべく組合化が進 められた。岐阜県における陶磁器工業組合の結成は昭和5 年 11 月、輸出向け各地製造組合

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14 を傘下に岐阜県輸出陶磁器工業組合連合会が設立され、翌昭和6 年 9 月には内地向け業者 も含めた岐阜県陶磁器工業組合連合会(岐陶工連)へと発展した。輸出組合発足当時は一部 の製造業者が加入する組合であったものが、内地向け業者が加わったことで岐陶工連は地 域の製陶業界全体の組合と発展したのである。 4. 日本陶磁器工業組合連合会による初期の統制事業 同時期に全国各地の陶磁器産地でも工業組合が設立される動きが見られたが、その中で 愛知および岐阜の各工業組合が集まって設立されたのが、日本陶磁器工業組合連合会(日陶 連)である。各組合は、「それぞれの特質、相違を持っていたとは言え、終局的にはほとん ど同一の売り先を持ち、特に瀬戸、美濃の輸出品(素地)の生産者は、各地の横断的結合に よって、統一的、包括的統制事業へ進まなければ、真の効果を期待することができない」3 ことから、商工省への陳情が実り、「工業組合法」により昭和6 年 2 月に総会を開催し、翌 3 月に設立認可された。 日陶連発足後の統制を整理要約すると、以下のようになる。4 (イ)生産の調整(割当)を行うもの (ロ)価格の協定を行うもの (ハ)共同販売を実施するもの (ニ)生産分野を定めるもの (ホ)取引先の指定を行うもの(全品種に一括して適用) これらの全部を行うものが、最も強力な統制品種とされ、上記の統制の適用事項が少ない ものほど、統制が緩和された品種とみなされた。上記以外にも発明考案に対する権利の付与、 証票裏印の使用登録等の一連の保護策を施行した。 また、日陶連は「当初、輸出品の統制を主体として開始され、内需品については、二地区 以上に亘って、競合の可能性のある同種製品を順次取り上げ統制に追加していった」5ので

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15 あるが、設立当初からの加盟組合に加え、輸出品に関連する他の地方組合も逐次加盟してい ったのである。 日陶連によって徐々に進められた統制諸事業は、必ずしもすべて円滑に機能していたと は言い難い点もあるが、昭和12 年の日中戦争勃発以前には既にその基本形が完成されてい たと言えよう。「日本陶磁器工業組合連合会定款」(以下、「定款」と称す)には、「第五章 事 業及其ノ執行、第二節 統制」として、詳細な規定を設けている。(史料一)また「定款」 と別に「日本陶磁器工業組合連合会統制規定」(以下、「統制規定」と称す)(史料二)も制 定されている。この日陶連の「定款」「統制規定」は、『昭和十五年十一月 定款及統制規定』 という冊子にまとめられている。「定款」は、昭和六年三月二十日設定認可 昭和十五年九 月二十七日一部変更認可、次行に月日なしの昭和十五年 月 日一部変更認可とあり、制定 から計 53 回の変更が、「統制規定」は昭和七年五月二十六日設定認可 昭和十五年七月十 八日一部変更認可」とあり、計36 回の変更が加えられている。いずれも加除式の規定集の ため、昭和15 年 11 月現在の内容をまとめたものであり、個々の条文がどの段階で加えら れたかは確認できない。 これらの目次を一覧するだけでも、日陶連の事業内容を俯瞰することができる。更には、 発行する会報はその名を『統制』と称し、日陶連設立の目的を端的に語っていた。後の強大 な政府の権限下における生産の方向性や業者の生殺与奪の権限を握る戦時統制とは意味が 異なり、あくまで業界における自治統制の段階に限定されていたとしても、陶磁器業界にお いては、昭和の初めにおいて既に統制の用語が使用されていることは注目に値する。昭和10 年 8 月より開始されたスープ皿共販事業の実施等、これら統制の経験が価格統制や計画生 産といった戦時統制への移行する際にも応用されており、この事については次項以降で紹 介する。 5. 統制経済下における日陶連の権限拡大 昭和12 年 7 月の日中戦争勃発直後から、政府は戦争遂行に必要な物資を確保すると同時

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16 に、不急部門に重要資材が使用されるのを抑制するため、あらゆる輸入品に対して制限を課 した。その嚆矢となった「輸出入品等ニ関スル臨時措置ニ関スル法律」(昭和12 年 9 月 9 日 法律第九二号)は、政府の戦争遂行における必要物資の確保と、不要不急部門に需要資 材が使用される事の抑制を狙ったものであるが、「輸出入品等」の「等」が示すように、輸 入関連に限らない多岐の物品・原料への影響を及ぼすものであった。 この時期の陶磁器産業においては、焼成に必要な石炭をはじめ多種多様の生産材料の入 手難に直面することとなった。陶磁器は一般生活物資として必要不可欠な存在である一方、 多くを輸出向けに製造してきた特性上、国策に従わざるを得なかった。当時の業界の状況に ついて、三井は以下のように回想している。6 輸出向けの陶磁器は重要商品として支援を受ける反面、内需向けで、軍需や生産拡充に 関係の薄い製品は、逆に抑制の対象と目せられることになった。こうしたことからも、 日陶連の生産統制は、時代に即応して転換を必要とする部面を生ずるに至った。 そして日陶連は、輸出推進と需要資材の適正使用の管理を行うため、陶磁器用諸資材の確 保を政府に要請した結果、同年12 月、商工省よりこれら資材の輸入権を付与されることの 認可を受け、陶磁器用輸入原材料を一手に購入して配給統制を行うようになったのである。 すなわち、東海地区の陶磁器製造業者の自主的団体として発足した日陶連が、政府の統制体 制の代行機関のような全国的な役割を担うに至ったということである。当初輸入資材に限 られていたものが、やがて内地産材料であっても軍需産業との調整が必要があるものは 次々に追加されていった。やがて日陶連の主要事業は「原料及び石炭の配給統制、電気用製 品、硬質陶器の全国的共同販売事業の実施、公定価格の全面公布に伴う、これら製品の全国 的共販の実施、これに対応せる計画生産の断行、輸出品買取会社に対する全輸出品の共販」 7にまで拡大していったのである。 実際に日陶連を通じて産地組合に資材配給が行われていた一例として、美濃での様子を 紹介する。8

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17 原料の配給統制は当初輸入資材に限られていたが戦局の進展につれて内地産原料も軍 需産業との調整の必要なものは統制品目となった。岐陶工連では日陶連を介してこれ らを所属組合に配給した。ちなみに、昭和13 年度は釘、針金第 1 回 1,130 樽。第 2 回 664 樽、金液、金粉類は輸出向け最小限切符制購入。昭和 14 年度は釘、針金は 9 月以 降円域のみ。ゴム製品は 6 月より中部貿易振興㈱から愛知県ゴム工業組合を経て配給 をうける。スポンジ板、印材用ゴム、ゴム紐、バルブ用ゴム、丸型スポンジその他合計 5,996 円 96 銭などである。軍手は 15 年 2 月から東濃呉服雑貨商業組合から配給をう ける。7,025 双、1,222 円 25 銭であった。 産地において、陶磁器製造に関わるあらゆる物資が配給制へ移行していった様子が実際 に見て取れる。一口に陶磁器生産といっても、生産資材として多種多様の物資を必要として いたので、それらを各々の製造業者、流通業者からルートに乗って配給を受けるためには、 このように煩瑣な事務手続きが必要となったのである。 このような時代の流れの中、各工業組合の日陶連への加盟は必ずしもスムースに行われ たのではないようである。元々地方組合の主な活動目的が、事業の共同化や共同施設の設置 運用、金融事業等に置かれていたこともあり、必ずしも日陶連所属組合のように統制事業が 課せられているわけではなかった。各組合における独自活動の立場からは甚だしい制限を 加えられることが察知され、加盟に抵抗する動きもあった。 その一例として、佐賀県西松浦郡の有田焼産地として知られる有田陶磁器工業組合にお ける日陶連加盟に至るまでの経緯を紹介する。9 昭和十二年七月に起こった日華事変は矢継ぎ早な戦時体制に相応する法令の公布を もたらした。その内の一つとして九月十日に公布された「輸出入品等に関する臨時措置 法」は、陶磁器業界に直ちに影響する重大法令だった。当時は実質的には東海三県の工 業組合連合体に過ぎなかった日陶連は、これに対応して輸出増産と重要資材の適正使 用の管理を行なうとの具体策を立てて、鉛、亜鉛、硼砂、酸化コバルト、酸化ウラニウ

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18 ム、石膏原石等の陶磁器用諸資材の確保を政府に要請した結果、政府はこれ等資材一切 の輸入権を日陶連の一手に付与することを決定した。正に政府機能の一手代行であっ た。 これを知った肥前陶業界の動揺と混乱は名状(状況を言葉で言い表わすこと)し難い ものであった。工業組合では日陶連加入の可否が論じられ、陶磁器用資材業者は狼狽し た。 有田としても何とか手を打たなければならなかったので、有田商工会は総会を開 いて対応を講じた結果、政府に対する請願決議となった。その年の十二月、有田商工会 は会長松本静二の名を以て県を通じて商工大臣吉野信次へ陳情したのである。 それは陶磁器用資材の輸入権を日陶連一手に付与しないで、産額は東海地方の十分の 一に過ぎないが、それに見合うだけの輸入権を佐賀長崎両県に付与してくれという請 願である。だが、商工省の方針にただ追随する県が果たして上申したかどうか。又、軍 部のお先棒を担いでいた商工省の新官僚等は一顧だにしなかったに違いない。理事長 の梶原仲治、専務理事の竹下豊市は共に商工省から天下りしていて、その日陶連から十 分の一の権利を佐賀長崎に頒けてくれというのを承知する筈はなかったからである。 藤津陶磁器工業組合は請願の結果は待たずに十二月、県と協議した上で日陶連加入 を決定した。翌年春には波佐見と折尾瀬の長崎両組合が加入を決めた。有田陶磁器工業 組合も五月の総会で遂に満場一致で日陶連参加を決定したのである。 有田陶磁器工業組合のように時流には逆らえず、結局大多数の組合が日陶連に加盟する こととなり、日本の陶磁器生産は実質上、日陶連の支配下に置かれることになったと言えよ う。商工省から日陶連に対しては、「陶磁器原材料確保ニ関スル件」(史料三)なる通牒が発 せられ、「共同販売、生産調整又ハ注文ノ共同引受等」について政府のお墨付きを得た格好 になっている。この通牒を受け、「日本陶磁器工業組合連合会統制規定」(史料二)の一部変 更が行われたとみて間違いないであろう。そして、「窯業関係の全国的統制は、日陶連が全 面的に政府の指令を受けてこれを行い、又業界の意向は逆に日陶連を通じて、政府に陳情す

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19 る様な形で進んだ」10とも言えよう。 「統制規定」附録の「所属組合及代行機関一覧表」によれば、昭和14 年 10 月末日現在 の合計として所属組合数45 組合、所属組合員 6,394 人となっている。この一覧表は統制経 済下の陶磁器産業を語るのみならず、各地における組合の設立状況、活動の範囲、規模の様 子を示す上でも史料価値が高いと思われるので、翻刻を別に掲載する。(史料四) 史料四で示した一覧表とは別に、「昭和十六年頃以降の日陶連の所属組合」を「58 組合」 「7,038 工場」とする一覧表が掲載されている史料もある。出典が示されていないため単純 な比較は困難であるが、参考として以下に引用する。11 所属組合名 (頭記の名称のみを掲げ、それに続く陶磁器工業組合または工業組合の字句を省 略、数字は所属業者数) 東海地区 瀬戸(1,137)、品野(251)、常滑(258)、愛知陶管(161)、三河陶管(34)、名古屋 (226)、岐工連(傘下 7 組合)〔西南部(331)、妻木(123)、下石(159)、駄知(141)、 土岐津(380)、瑞浪(100)、恵那(103)〕、岐阜加工(550)、三重県(162)、犬山 (12)、三河土器(302)、日本顔料(87)、名古屋転写(7) 北陸地方 石川県(5)、九谷窯元(42)、金沢九谷(116)、能美九谷(291)、江沼九谷(61)、 珪藻土コンロ(12) 近畿地区 関西(6)、京都(586)、信楽(170)、丹波陶器(61)、伊賀焼(21)、神戸加工(90)、 奈良県(22) 関東、東北 会津(57)、東京電磁器(16)、益子(36)、相馬(21)、横浜(36)、平清水(9) 中国、四国

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20 山口陶炻器(21)、伊予(11)、出雲陶器(22)、岡山県(62)、讃岐西部(140)、讃 岐東部(50)、讃岐三豊(13) 九州地区 肥前本部(元有田)(111)、肥前支部(元藤津)(69)、長崎陶器(9)、波佐見(42)、 折尾瀬(40)、佐賀錦付(53)、肥前陶土(113)、野間焼(13)、東洋陶器(単独) その他 天竜(27)、沖縄(49)、日本焼石膏(10) 合計 58 組合(東洋陶器を含む) 7,038 工場 県や生産地域を単位として各地に工業組合が置かれていたが、各生産者の組合への加盟 は任意が前提であり、また地域によっては必ずしも組合組織を結成し日陶連へ加入を果た したとは限らないようである。その実態の一事例として山口県を紹介する。「所属組合及代 行機関一覧表」(史料四)には「山口県陶炻器工業組合」として、山口県一円を統制地区と して21 業者が加盟していることとなっている。しかし、同時期の昭和 13 年現在の山口県 下の陶磁器製造所数は 155 とする史料があり12、その数字の格差からも同組合が県下一円 の製造業者を包含しているとは言い難い。山口県陶炻器工業組合は厚狭郡を中心とした硫 酸瓶製造業者が集合したもので、戦前期に同地での陶瓶工業の生産実績は、「全国生産数量 の70%を占める盛況を呈していた」という。13 一方で山口県には、阿武郡萩町を中心とし た萩焼と称される陶磁器を生産する窯元が存在していたことは周知の事実である。 このように、県下で唯一の日陶連加盟組合が全県の製造業者の代表ではないという場合、 組合未加盟業者の経済活動はいかなるものであったであろうか。統制経済下において日陶 連を頂点とした陶磁器原材料の配給体制が確立されてゆく中で、各製造業者にとって組合 に加盟しないということは、原材料、燃料の供給を失うのみならず、後述するように製品の 流通もが行えないことを意味した。地元に密着した生産地消費型の小規模生産者は全国各

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21 地に点在していたはずであるが、この事例に限らず、建前上任意加盟とはいえ、この時期に 組合未加入業者がどのような経済活動を行っていたかについては判然とせず、ここでは問 題提議を行うに留める。 6. 公定価格の制定と価格統制の推移 6.1 日中戦争下の物価対策 日中戦争は政府の不拡大方針にも関わらず急速に戦線を拡大していった。軍需費支出の 増加は通貨増大につながり、一方で物資逼迫が生じると物価は高騰する傾向に転じ、政府は 戦時インフレーションの対策に追われることとなった。これに対する施策も当初の場当た り的なものから、着実に法律の整備、方針の確定が図られていった。 政府は日中戦争勃発から約1 ヶ月後の昭和 12 年 8 月、大正 6 年制定の「暴利ヲ目的トス ル売買ノ取締ニ関スル件」(「暴利取締令」)を大幅に改正し、指定された物品に対し法的な 物価抑制を図った。翌昭和13 年 4 月、中央物価委員会が商工省に設置され、学識経験者も 交えて品目別の専門委員会を設け、物価対策を審議させた。この委員会は翌昭和14 年 4 月 に「物価統制の大綱」を決定し政府に答申した。この中で公定価格制を支持し、価格算定や 実施方法について多くの貢献をした。この「大綱」は、後述する陶磁器製品への公定価格設 定の際の理念として念頭において読み解くとより理解を助けると考えられるので、一部を 抜粋し翻刻する。(史料五)この中で、「一 価格を公定すべき品目の範囲及生産企画」「三 戦時適正価格の決定」等、具体的に戦時下における物価形成における方針が示されている。 6.2 公定価格制度の採用と価格表示の例 昭和13 年 7 月には政府が指定物品の価格を告示する公定価格制度が採用されることとな った(「物品販売価格取締規則」)。その後、法的に強化整備され(「価格等統制令」)、昭和14 年9 月 18 日の価格で強制的に停止されることとなった。この価格停止は公定価格を設定す るための臨時的措置であり、当初の規定では 1 年間と期限を限定して、その間に必要なも

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22 のは順次公定価格を設定する予定であったが、その後数度にわたり有効期間は延長された。 そして、翌昭和15 年 6 月からは価格の表示義務が課された。表示の一例をあげる。 ○停(マル停)…十四年九月十八日現在での価格で停止された商品 ○新(マル新)…価格停止時に生産・販売されていなかった商品 ○公(マル公)…政府の決定した公定価格 ○協(マル協)…業者の組合で九・一八価格と異なった価格を協定し官庁の認可を得た 許可価格 ○許(マル許)…例外的に行政官庁の許可を得た許可価格 これらは、実際に製品が流通する際に価格の根拠として、個々に値札等で示される事にな ったのである。陶磁器製品に関する具体的な事例については、第4 章でいくつか例示する。 6.3 価格査定制度の開始 本来物価とは市場における需要と供給のバランスによって決定されるものであり、更に は物品の質、規格も価格決定の要因として必要条件である。商品の多様化が進んでいたこの 頃、物価抑制上必要ではあっても、一様に価格を設定することは非常に困難な作業であった。 価格設定の複雑性は、ひいては配給の不円滑や商品の偏在現象等の欠陥を露呈させるよう になり、物価統制の拡大によるこれらの施策は必ずしも当初から円滑に運用されたわけで はなかった。そこで考えられたのは、一定の機関が価格を査定し、その査定価格に政府又は 地方庁が公定価格としての権威を持たせるという仕組みであった。査定機関は、昭和14 年 4 月頃から主要都市において繊維製品類を対象として設置されはじめ、その後範囲を拡大し た。新たな査定機関の発足、又は既存の同業組合又は工業組合を中心とした査定機関が発足 し、官庁の監督下に自治的運営がされたのである。 公定価格の設定品目は、強制的に規格を定め対象となる物品数を圧縮したが、それでも昭 和16 年 9 月末までに、中央で最高価格を設定した商品は総計十万点を越え、その他に地方 別に定められた物品もあり、全体として膨大な物価統制が運用されていた。14

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23 7. 陶磁器製品における公定価格制度 7.1 公定価格の根拠法令と設定の開始 このような物価統制が陶磁器へ及んだのは、昭和恐慌期からの価格低迷期を経て、日中戦 争勃発以降の軍需インフレに伴い製品の騰貴を生じている最中のことであった。最初に内 地向け陶磁器製品に関して公定価格が設定されたのは昭和15 年 7 月に「価格等統制令」中 の規定による商工省告示の形で示達された。この時の公定価格設定に関する根拠は、同日に 出された次の2 つの法令による。 「磁器製飲食物容器販売価格指定ノ件」(昭和15 年 7 月 26 日 商工省告示第三八一号) 「陶器製飲食物容器販売価格指定ノ件」(昭和15 年 7 月 26 日 商工省告示第三八二号) 最初の公定価格は、「製品量の最も多く移動する比較的低価格の大衆向き製品を対象」15 として、愛知、岐阜産の製品について設定された。これは、当時この2 県が日本の陶磁器生 産のほぼ半分の生産比率を占めていたためであり、全国に適用する公定価格を一度で制定 することは困難であることからの経過措置である。 その規模を知る参考として、昭和16 年の陶磁器主要産地別生産比率を以下に示す。16 かに愛知、岐阜県に生産が集中していた状態であったか理解できる。 愛知32.6 岐阜 25.8 三重 3.1 石川 1.3 京都 12.6 大阪 0.2 滋賀 1.9 兵庫 1.2 福岡1.1 佐賀 2.1 長崎 2.5 その他 15.6 全国工場数 8,500 その後、昭和15 年 10 月に愛媛、佐賀、長崎、京都産品が加えられたが、17 いずれも砥 部焼、有田焼、波佐見焼、京焼といった陶磁器産地である。同年12 月には、その他の道府 県産にも拡大された。18 当初県別に設定された公定価格では、製品の価格設定の基準となる等級は、「上」「中」「並」 の3 等級が設定されていた。この価格決定は、「価格等統制令」第七条の規定19および「価

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24 格等統制令施行規則」第十二条20により地方長官(道府県知事等)が額の指定を行うもので あった。 7.2 価格決定の経緯 公定価格設定の具体的な手続きの事例として、昭和15 年 10 月に愛媛、佐賀、長崎、京 都産品への公定価格設定に先立ち、商工省物価局次長から同年7 月 8 日に各知事に宛てた 「価格等統制令第七条ノ規格ニ依ル額ノ指定ニ関スル件」(史料六)にその様相を見ること ができる。商工省告示にあたっての価格指定に先立つ 3 ヶ月以上前に通達が出されている のは、実際の告示までの実質的な準備期間であろう。価格決定に際しては、「原則トシテ指 定期日(九、一八)ニ於ケル価格ヲ越エザル額ヲ以テ之ヲ結〔決〕定スルコト」とあり、ま た製品の等級は「日陶連ノ定ムル所ニ依ルコト」とされていることから、知事の一方的な権 限によって決定されたものでなく、日陶連の定めた枠組みに依拠していたと判断できる。 「卸業者販売価格」「小売業者販売価格」それぞれの開差率の算出数字を示している点でも 興味深い。 更に付け加えるならば、この史料の写しが佐賀窯業指導所を経て佐賀県藤津陶磁器工業 組合に所属する源六焼窯元に伝わっていたという事実は、中央における価格設定の意向を 産地がいかに注視していたかを示している。 7.3 全国製品への拡大 しかし、実際に昭和15 年 7 月からこの県別、3 等級の公定価格制を運用してみると、地 区別、材料別、手法別の価格設定はかなり繁雑であった。このことから昭和16 年 11 月よ り全国に共通する規格へと改訂されることとなった。これに至る状況は以下のようであっ た。21 最初は昭和15 年 7 月、飯碗、湯呑、番茶茶碗、丼、皿、土瓶、急須の品種に限り先 づ決定され、逐次他品種に及ぼす事となし、価格は京都、石川、佐賀、長崎、愛知、岐

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25 阜の地区別とし、一品種を寸法別になし、上中並の3 通りの等級を付し、其れに工業組 合販売価格、産地卸売業者販売価格、卸業者販売価格、小売業者販売価格の4 段となせ り。而して同一品種、同一寸法のものにても、地区別価格に加ふるに、材質別(磁器、 陶器)、手法別(白、染付其の他、上絵附)の価格が異なり、繁雑を極めるにおよび、 昭和16 年 11 月、地区別、材料別、手法別の制を廃し、全国製品を 1 級より 15 級の 15 段階に分ち、日本陶磁器工業組合連合会最高販売価格、卸売業者最高販売価格、小売業 者最高販売価格の公定価格に改変されたものである。 7.4 等級区分の根拠 こうして陶磁器製品の公定価格が昭和 16 年 11 月に全国製品を包含する等級に改定22 れてからは県別の表記はされなくなり、個々の製品ごとに等級が細かく区分、格付されるよ うになった。ただし、格付にあたっては産地は大きく影響した。 製品の分類は、当時の公定価格表23によれば「一 蓋無飯茶碗類」からはじまり、「四十四 手附蓋附水呑類」までの和洋食器が掲載されている。等級は「和飲食器」を例にとると、「一 級」から「十五級」となった。この15 等級区分の根拠について、三井は以下のように回想 している。24 茶碗類の代表品種である飯茶碗の例を採ってみるに、その産地は、瀬戸、美濃、名古 屋を始め有田、京都、九谷その他、全国各地に亘り、価格もこれ等産地別による格差と、 工場間の品質差による価格差が相交錯して、多岐に分かれる。公定価格は、これ等を総 て包含しながら、現実の適用が合理かつ簡素に行われるよう整理されたものでなけれ ばならない。当時の実態を調査するに、飯茶碗の一般市販品(特別に指定された工芸品、 芸術品は除く)の価格の幅は、最低価格を基準として、最高価格はその約十五倍である ことが解った。この開差の幅の中で、どのような段階別価格を設ければ、現実の取引実 態に合うかを検討した結果、概ね十五階級の等級に分け、かつ一階級の開差率を約二 十%程度に刻めばよいことが算定された。

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26 例えば、岐阜の笠原の茶碗(蓋無三寸六分)の当時の市販価格(一個)八銭(最低) に対し、京都、九谷に高級品は一円二十銭(最高)で、この両者の間に、京都、九谷の 中級、並級品、有田の上中並、瀬戸、美濃、名古屋の上中並の段階別価格と、更に特別 な品質による価格差、例えば、ノリタケ(日本陶器)一級、瀬戸の特殊ブランドは三級 と言った具合に、ランクをはめ込んで、一階梯の開差率を概ね二十%で整理すると、十 五階級を持って、全国の茶碗を網羅せる価格別番付表が出来たのである。 上記のような研究段階を経て、茶碗以外の飲食器においても概ね15 等級に区分されるこ ととなった。当初の 3 階級分類は地方公定価格設定に際しての暫定的処置であり、同じ格 付同一製品であっても、産地ごとに値段が異なるといった変則的なもので全般的に見た場 合には不明瞭であったため、全国共通の公定価格設定にあたっては産地ごとの製品傾向の 住み分けおよび主要製品の価格帯も考慮して細分化された経緯が読みとれる。 7.5 公定価格制度における日陶連の業務 先に触れたように、昭和 15 年 7 月の公定価格制導入の際には、流通上の価格の段階を 「工業組合又ハ同連合会販売価格」「産地卸売業者販売価格」「卸業者販売価格」「小売業者 販売価格」254 段階になっていたが、昭和 16 年 11 月に全国価格への改訂する際に「日本 陶磁器工業組合連合会最高販売価格」「卸売業者最高販売価格」「小売業者最高販売価格」の 3 段階に改められた。日陶連販売価格が表示されていて生産者価格が明示されていないのは、 三井によれば「○公(マル公)はすべて、日陶連で共販を行う」という意味であるとしている。 生産者の手取り価格は附則により5%引と定められており26、これは日陶連の手数料として 「製品毎個に貼付する公定価格証紙の代金とか、日陶連が全国に配置せる検査員(この頃約 三百人)が、工場の窯詰め、窯出しを一々検査し、焼上った製品を、製品の価格に応じ等級 別の格付を行う費用、あるいは○公(マル公)証紙(小売価格を表示してある)を貼付したも のを、各産地の卸商業者へ共販する事務費用等」27に充当された。

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