漢字の読み能力から知能を推測する試み―JART 開発者・松岡恵子へのインタビューから―

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110. 漢字の読み能力から知能を推測する試み. ―JART 開発者・松岡恵子へのインタビューから―1. 鈴木朋子1・名取洋典2. Challenging to measure mental ability by reading Kanji characters: . Interview with a developer of JART, Keiko Matsuoka. Tomoko Suzuki1. Natori Hironori2. 1 横浜国立大学教育学部. 2 医療創生大学心理学部. 1Yokohama National University, College of Education. 2 Iryo Sosei University, Department of Psychology. 1 本研究は,科学研究費補助金(19K03336 心理検査開発者オーラルヒストリーによる日本心理検査. 史)の助成を受けたものです。. 111. はじめに . 知能検査は,心理学における重大な「発明」と位置付けられている(佐藤・溝口,1997)。1905. 年,学習不振児の取り出しを目的としてビネ(Binet, A.; 1857-1911)とシモン(Simon, T.; 1873-1961). によって開発された知能検査は,1939 年に患者の診断を目的としたウェクスラー式知能検査. (Wechsler Bellevue Intelligence Scale),1983 年に教育的な働きかけの方向性を知ることを目的とし. た Kaufman Assessment Battery for Children(K-ABC)へと発展した。新たな知能検査が開発される. に従って,知能検査を支える理論も,g因子を想定した総合的な能力の把握から各能力を分析的に測. 定する方向へと変化してきている。. ところで,知能検査に類似の項目を用いた心理検査に,乳幼児の能力を測定する発達検査,高齢者. 等の認知機能を測定する認知機能検査がある。HDS や MMSE に代表される後者の認知機能検査は,. 近年になって医療機関・介護施設で認知症のスクリーニングや重症度評価の目的で多く使用される. ようになった。高齢者を対象とした心理検査を行う際に,認知症が疑われる場合には認知機能検査が,. 認知症であったとしても軽度である場合には詳細な能力が分析可能な知能検査が用いられるのが通. 例である。これらの心理検査は,検査受検時点の被検者の能力を結果として示している。. 認知機能検査とも知能検査とも異なる,能力を測定する検査に,1982 年にイギリスの Nelson によ. って発表された National Adult Reading Test (NART;Nelson, 1982)がある。知能検査の IQ は脳の. 障害によって低下するが,単語の音読能力は保たれる。この特徴に着目して開発された検査が NART. であり,不規則な読みをもつ英単語の音読の能力から,病前 IQ の推定を行うことができる。単語の. 音読能力を用いた病前 IQ の推定は,英語以外の言語でも有用性が確認され各言語版が作成されてい. る(Schmand et al., 1991; Colombo et al., 2000; Mackinnon & Mulligan, 2005; Rolstad, 2008; Yi et al.,. 2017)。. NART の日本語版である Japanese Adult Reading Test (JART)は,国立精神・神経センターの松岡. と金によって開発された。松岡らは,日本では欧米のような社会階層に基づいた IQ 推定が不可能で. あると考え,漢字熟語の音読から病前 IQ の推定を行う JART を発表した。2002 年に発表された JART. (以降,JART-100)は,「案山子」や「足袋」のような熟字訓である「不規則読み熟語」50 熟語と,. 「階段」のように代表的な単漢字の読みを重ねて音読する「規則読み熟字」50 熟語の読みを課題とし. ており,健常高齢者 140 名,軽度脳血管性認知症患者 13 名,軽度アルツハイマー型認知症患者 29. 名を対象に信頼性・妥当性が確認されたものである(松岡他,2002)。2006 年には,JART-100 の漢. 字熟語のなかから,WAIS-R による簡易 IQ と強い相関を持つ 50 熟語を選択し,健常高齢者 106 名. とアルツハイマー患者 70 名を対象に,推定 IQ の予測妥当性を検証し,JART50 項目版(以降,JART-. 50)として発表した(Matsuoka, Uno, Kasai, Koyama, & Kim, 2006)。2006 年に出版された「知的機. 能の簡易評価実施マニュアル」(松岡・金,2006)では,簡易 IQ との相関の高さと正答率の高さを. 基準として 25 熟語を選択し,JART-25 とした。JART-25 の予測妥当性は,JART-50 と同一のデー. タによって確認されている。JART-100,JART-50,JART-25 は,統合失調症患者の病前 IQ 推定に. も利用可能であることが確認されている(植月他,2006;植月他,2007)。. 心理検査開発者オーラルヒストリーを収集する中で(鈴木・溝口,2015;鈴木・鈴木・安齋,2016;. 鈴木,2017a;鈴木,2017b;鈴木,2018;鈴木・小泉,2019;鈴木・安齋,2020),金吉晴と共に. 「JART」を開発した,松岡恵子にインタビューを行う機会を得た。松岡は,1995 年(平成 7)年,. 112. 東京大学医学部保健学科卒業。1997(平成 9)年,東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野修士. 課程修了後,国立精神・神経センター精神保健研究所成人精神保健部に流動研究員として勤務。NPO. 法人 TBI リハビリテーションセンター研究員。2004(平成 16)年,保健学博士号(Ph.D.)取得(「痴. 呆性疾患専門病棟の入院患者における行動障害と患者の基本属性予測因子」)。2006(平成 18)年よ. り「蒲田寺子屋」を主催。公認心理師,精神保健福祉士の資格を取得している。. インタビューは,知能検査開発者へのオーラルヒストリーの一環として行われたもので,インタビ. ュイーの話の流れを遮らずに聴くことを重視した。トランスクリプトは,松岡恵子の校閲を経たもの. である。なお,人物名の敬称は論文の慣例に従って省いた。. 松岡恵子へのインタビュー. インタビュー日程:2019 年8月 25 日. 場所:横浜国立大学教育学部講義棟にて. インタビュアー:鈴木朋子,名取洋典. 松岡恵子の経歴. 鈴木:松岡先生のご経歴をお伺いしてもよろしいでしょうか。. 松岡:生まれは千葉ですね。東京大学に理科二類で入り,医学部保健学科に進学しました。. 鈴木:保健学科から東大の保健学修士課程に進学されたのでしょうか。. 松岡:そうですね。研究室が精神保健学教室というところで,栗田廣2先生が指導教官です。. 鈴木:松岡先生の卒論と修論のテーマについてうかがってよいでしょうか。. 松岡:卒業研究は,文献研究で,心理検査の TAT をテーマにしました。齋藤高雅3先生という先生が. 助手でいらして,一緒に指導してくださり,齋藤先生が TAT のことを一緒に調べてみようと提案を. してくれるのに従うという感じでした。修論は MMPI を扱いました。アルコール依存症のデイケア. で修士の2年間,お手伝いに行って心理検査をとる仕事をしていたので,それを研究に使わせていた. だいた感じです。色々な方と接すると,一つはやっぱり,心を病んだ人にどうするかという視点がす. ごくあります。逆に純粋なヴントなどの心理は学んでいなかったし,自分は心理をきちんと学んでい. ないという感じはあります。. 鈴木:修士を修了されたあとは,臨床の現場で勤務されたのでしょうか。. 2 栗田廣(くりたひろし:1945-)。東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻教授を務め. た。日本発達障害学会理事,日本精神科診断学会評議員,International Association for the. Scientific Study of Mental Deficiency Council Member,日本児童青年精神医学会評議員,日本産業. 精神保健学会評議員を歴任。専門は,精神医学,発達障害,小児精神医学(栗田,2010)。 . 3 齋藤高雅(さいとうたかまさ:1947-)。1970(昭和 45)年,東京大学医学部保健学科卒業。. 1976(昭和 51)年,東京大学大学院医学系研究科博士課程単位取得退学。1977(昭和 52)年,東. 京大学医学部保健学科精神衛生学教室助手。1998(平成 10)年,大分県立看護科学大学教授。. 2019(令和元)年現在,放送大学臨床心理プログラム教授。保健学博士。専門は臨床心理学,精神. 保健学(齋藤,2006). 113. 松岡:普通は博士課程に進学するのですけど,国立精神・神経センター4の金5先生の研究室で流動研. 究員を募集しているということで,修士を出てすぐに金先生の研究室で流動研究員として働くこと. になりました。. 鈴木:金先生の研究室では,どのようなお仕事をされていたのでしょうか。. 松岡:金先生は,どちらかといえば自分の研究テーマを好きにやっていいよとおっしゃる先生でした。. その時,ちょうど海外のテロ事件6がありまして,海外に金先生が派遣されて。そのころから金先生. は PTSD の研究をずっとなさってますが,私は当時研究者として独り立ちしていたわけでもなかっ. たので,今後の活動をどのようにしていったらよいのかと悩み、金先生に相談させていただくことも. しばしばありました。. 蒲田寺子屋での高次脳機能障害患者の支援. 鈴木:臨床で心理検査を実施する仕事をされながら,蒲田寺子屋を主催された。. 松岡:2004 年頃に,NPO 法人 TBI リハビリテーションセンター7というところに縁があって雇われ. ました。そこは一軒家で高次脳機能障害の方に認知訓練をするところです。藤井8先生が主催です。. 鈴木:以前,認知リハビリの本9を読み,このような考え方があると驚きました。高次脳機能障害は,. 4 精神衛生に関する諸問題について,学際的立場からの研究と精神衛生全般にわたる研修を目的と. して,アメリカの NIMH をモデルに厚生省の付属機関として設立された機関である。精神衛生法制. 定に伴い,1952(昭和 27)年に国立精神衛生研究所が設置された。1986(昭和 61)年,国立武蔵. 療養所,国立武蔵療養所神経センター,国立精神衛生研究所の 3 組織が,国立精神・神経センター. として統合された。2010(平成 22)年に,独立行政法人国立精神・神経医療研究センターに改組さ. れた。2018(平成 30)年の組織改編後は,自殺予防総合対策センター,災害時こころの情報支援セ. ンター他 9 部,計 33 室で構成されている(精神保健研究所,2018)。. 5 金吉晴(きん よしはる):1984(昭和 59)年,京都大学医学部卒業。1995(平成7)年,ロン. ドン精神医学研究所にて在外研究。2002(平成 14)年より国立精神・神経医療研究センター成人精. 神保健部部長。ペルー大使公邸人質占拠事件での医療活動に対して厚生大臣表彰。ニューヨーク大. 学精神科教授,東京大学医学部連携教授,東北大学医学部連携教授。国際トラウマティックストレ. ス学会理事,日本トラウマティックストレス学会理事等(金,2019)。. 6 1999 年 8 月のキルギス邦人誘拐事件のこと。国際協力事業団から派遣されていた鉱山技師や通訳. が,キルギスにてウズベク反政府系武装組織に誘拐され,10 月末に開放された事件(外務省,. 1999)。. 7 東京都根津にある,TBI(外傷性脳損傷),高次脳機能障害患者の認知リハビリテーションを行. う NPO 法人。藤井正子が代表を務める。. 8 藤井正子(ふじい まさこ)。東京大学医学部脳研究施設助手,1986(昭和 61)年,浜松医科大. 学医学部医学科助教授,1999(平成 11)年,同大看護学科教授を経て,2001 年 4 月より NPO 法. 人 TBI リハビリテーションセンター理事長。医学博士(藤井,2019)。. 9 藤井正子・松岡恵子(2005). 脳損傷のリハビリテーションのための方法 記憶の練習帳 1.2.3.4 (FM. 練習帳), 新興医学出版社など. 114. 心理の教育では教わってこなかったために知らない世界で,しかもその障害がリハビリで能力を回. 復可能だということを知って驚いた覚えがあります。. 松岡:藤井正子先生も,東大保健学科が衛生看護だったころの大先輩でいらっしゃいました。浜松医. 科大の教授をされていました。私の保健学科の同期が浜松医科大で働いていたこともあり,紹介され. ました。. 鈴木:藤井先生とのご縁をきっかけに,松岡先生は認知症から,高次脳機能障害のご専門に切り替わ. ったということでしょうか。. 松岡:それも同時進行なのではっきり切り替わったというのではないんですけど,私も高次脳のこと. は分からなかったですし,どちらかと言えば一軒家で NPO という運営形態で,当事者さんと地域で. かかわりながら研究も行うという,そういう活動に非常にロマンを感じて,一緒にお仕事させていた. だこうと決意しました。そこでもかなり研究活動を重視していましたので,こういう研究のやり方も. あるのかとすごく感動しましたね。. 鈴木:蒲田寺子屋はそのあとに立ち上げたのでしょうか。. 松岡:本当にこれも立ち上げるというほどのものではないのですが,一軒家が空き家になったので,. TBI リハビリテーション研究所と同じことを蒲田でもできるかと思って,すごく簡単な気持ちで始. めてしまいました。. 鈴木:対象の方は TBI と同じような高次脳機能障害の方たちですか。. 松岡:そうですね。当初は高次脳機能障害の方が主体で,これまで 12 年間やってきたんですけど,. 最近はニーズのある人はどなたでも歓迎という感じです。. 鈴木:蒲田寺子屋の活動内容を伺ってもよろしいでしょうか。. 松岡:そうですね。藤井先生のところと同じように認知機能の評価と,できることがあれば代償法を. 含めた支援,どちらかと言えばパソコンやスマホというデバイスを使った支援で,人と繋がるという. ことを重視しています。. 鈴木:パソコンで,リハビリというよりも繋がる。. 松岡:そうですね。当事者さんのこれからの長い人生、生活の中でより生きやすくするにはどうした. らいいか。うちでできることは少ないですけど,うちでできることのなかで生活のなかで必要なこと. や役立てることは何かなということを考えています。. 鈴木:例えばどのような支援法があるのでしょうか。. 松岡:そうですね。最近のクライアントさんで,必ず毎週いらっしゃるんですけど,すぐに帰ろうと. される方がいらっしゃいます。はじめは、長く居ていただくにはどうしたらよいかと考えたりもした. のですが、短くとも必ずいらっしゃるということになにか積極的な意味もあるのではと,今はそう思. って,その方をまるごと支援するという考え方に変わってきています。. 鈴木:ありがとうございます。高次脳機能障害をお持ちの方を支えていくのがどういった臨床現場な. のかを知りたく,質問させていただきました。お話をうかがっていると,リハビリのプログラムを進. めるよりは日常を支援されるような形なのですね。. 松岡:そうですね,でも,高次脳機能障害の方は個人差がすごくありまして,就労に乗れる方はいろ. んなサービスがあり,ご高齢なら介護保険サービスを使われる方もあるんですけども,もう少し重い. 方だとあまり行き場がないというのはよく感じることですね。. 115. 鈴木:脳神経外科や精神科ではフォローアップしきれないような方の日常の支援も含めて,蒲田寺子. 屋で支援されているように思います。. 松岡:退院したあと、障害を抱えながらどのように地域で暮らすかということをずっと考えてゆく必. 要があります。でも、本当にうちはクライアントも少ないですし,大したことは行えておりませんが、. 今まで 1 番役立ってきたと思うのは,家族会の集いです。8 年間くらいやっていて今も続いていまし. て。家族会さんは,うちの事務所を使って、よくこんなに長い間集まりを続けてこられているなあと. 思います。. 鈴木:ありがとうございます。松岡先生の臨床の様子がなんとなく想像できるようになったのでお話. をうかがいやすくなりました。. JART の項目作成. 鈴木:松岡先生が JART と出会ったきっかけは,金先生だったのでしょうか。. 松岡:はい。金先生がちょっと作ってみたらどうかと勧めてくださいました。. 鈴木:イギリスの NART が JART の元になっているとありました。JART で,漢字の読みを用いる. のはどなたの発想だったのですか。. 松岡:漢字を使おうというのは誰もが思うことだと思います。金先生と、最初は熟字訓10だよねとい. うことになりました。. 名取:熟字訓は,これでしか読めないものというか。. 松岡:単語固有のこれでしか読めないもの。. 鈴木:漢字を使うという発想は,自然に出てくるものなんですね。. 松岡:そうですね。これ(NART の単語)に相当する日本語はなんだろうというプロセスで,熟語よ. りも熟字訓だと思って,「まずは熟字訓だね」というのがあったと思います。JART が最初に出たの. が 2002 年でしたから。JART は 2 回調査しているんですよね。最初の調査は全年代に薄く広くやっ. たんです。こちらの日本の論文(松岡他,2002)ですね。. 鈴木:漢字の選択は大変だったのではないでしょうか。. 松岡:私自身も理系ですし,今思うと本当に言語学の知識とかも足りない中でちょっとこんなのでい. いのかと恐縮してしまうのですけれど,国立国語研究所の資料11からまず熟字訓を選び,そこに合わ. せて熟字訓じゃない熟語を頻度と平均画数が揃うように入れたと思います。. 鈴木:国立国語研究所の資料を使うことを思いつくのも大変なように思います。. 松岡:やはりベースとなる資料を探していた時,まあこのときは 1990 年代半ばで,今のようにデー. タベースがなかったので,金先生の助言もあり、「現代雑誌九十種の用語用字」の漢字表から特別読. みと指定されている熟語を使いました。NTT12がこの後に出たと思うんですけど。. 10 熟字訓とは,漢字二字以上の熟字を訓読することである。例えば,「昨日 き の う. 」,「大人 お と な. 」などが熟字. 訓にあたる。. 11 国立国語研究所(1962).現代雑誌九十種の用語用字 第 1 分冊(総記および語彙表),国立国語. 研究所報告,21,国立国語研究所. 12 NTT コミュニケーション科学基礎研究所(監修)「日本語の語彙特性」。書籍+CD-ROM 版は. 116. 鈴木:最初の調査で,規則読みとそうでは無いものの読みとの間には特に差がなかったとありました. (松岡他,2002)。. 松岡:そうなんです。そこが予備研究のほうで,規則読みと不規則読みだと,むしろ規則読みの方が. わりと IQ との相関があるのが非常に不思議でした。熟字訓が IQ を推定するという訳では無いとい. うか,普通の熟語も充分推定するのです。. 名取:漢字自体の話ですかね。. 松岡:熟字訓のほうが癖があるというか,知能と別のところでそれを読む能力を持っている方がいら. っしゃるのかもしれないですね。. 名取:熟語というのがちょうど良いんでしょうか。ひらがなやカタカナではない。. 鈴木:熟字訓を読む能力は学校教育だけじゃないですものね。JART に出ている漢字は学校では教え. ない漢字かもしれない。でも読めるところもある,でも全部は読めない。その漢字の読みに能力が反. 映されるのが面白いと思います。卓袱台 ち ゃ ぶ だ い. ,紫陽花 あ じ さ い. なんて,学校の書き取りではやらない。でも読める. 人は読める。. 松岡:例えば「履行 り こ う. 」や「詭弁 き べ ん. 」は硬くて学術的な言葉なんですけど,「紫陽花」,「秋刀魚 さ ん ま. 」,「黄昏 たそがれ. 」. はもう少し柔らかい,歌や物語の文脈というか。だから,規則読みと不規則読みでちょっと質が違う. ものがあるのかもしれないですね。. 鈴木:規則読みが得意な人はこういう特徴がある,不規則読みが得意な人はこういう特徴であると,. そこまではいかないものですよね。. 松岡:そうなんですよ。私自身も言語学とか分からないんですが,例えば明治維新のときに,色んな. 概念を漢字熟語に置き換えたといったようなことがあって,ちょっと硬い概念的なことは規則読み. なのかなとかね。そうですね,規則読みと不規則読みだと,意味とか象徴性の違いはすごくある,役. 割の違いもあるような感じを持ちました。. 名取:読めるけど意味が取れない単語ってあるんですね。. 松岡:読みを問うてるというのは,そこに意味があるんですね。熟語の指し示しているものはわから. ないけど読めることがある。不規則読みはやっぱりそのものが分からないと読めない感じがします. ね。. JART の標準化作業. 鈴木:JART は,最初の 2002 年の論文は 100 項目から始まって,さらに2回の調査で,2006 年に 50. 項目,その後の 2006 年のマニュアルで 25 項目になっているのですね。. 松岡:25 は,私としては最初予定がなかったんですが,やはり東大の笠井清登13先生がぜひ 25 で作. 1999 年刊行の第1期から 2008 年刊行の第4期まである。. 13 笠井清登(かさい きよと)。1995(平成 7)年東京大学医学部医学科卒業,国立精神神経セン. ター武蔵病院精神科レジデント,米国ハーバード大学医学部精神科臨床神経科学部門客員助手を経. て,2002(平成 14)年東京大学医学部附属病院精神神経科助手,後に講師。2008 年(平成 20)年. 117. って欲しいという,持っているデータから 25 でもある程度はできるという妥当性をぜひ一緒に出し. て欲しいというご依頼があった記憶があります。. 鈴木:なるほど。臨床の立場から考えると,短い方がテスト受ける側の負担が少ないですね。とても. ニーズがありそうです。. 松岡:そうですね。. 鈴木:標準化協力者は,シルバー人材センターで集めたと書いてあったのですが,これも斬新な発想. だと思いました。. 松岡:この 2 回目の調査の方ですね。やはりシルバー人材センターの協力がなければこの健常者 100. 名というのは成り立たなかったと思いますね。. 鈴木:シルバー人材センターへは,研究協力を仕事として依頼を出されたのですか。. 松岡:はい,2 時間いくらという感じのお仕事ですね。シフトが1,2,3とあって,1 日 3 人の、. 午前、午後 1、午後 2 で組んで,協力者には当時市川にあった精研に来て頂きましたね。. 鈴木:(標準化資料を拝見する)これが当時使われていたものなんですね。. 松岡:2003 年のものですね。. 鈴木:検査開発だと協力者が全然集まらないことが,どこでも大きな問題になっていると聞きます。. でも,シルバー人材センターなら協力者が集まるんですね。これも素晴らしい発想だと驚きました。. 松岡:当時研究所が市川にあって,研究所や金先生のおかげで,シルバーの方が協力的でした。. 鈴木:シルバーの方だったら,きっとそれまでついた仕事も色々でしょうし,教育も色々でしょうし,. 元気に働ける方に限っている部分のみ若干偏りがあったとしても,随分バラエティに富んだ協力者. になるのかなと思います。標準化の協力者として理想的です。. 松岡:そうですね。たしかに調査をやって高学歴に偏るというのは身近の協力者にやっているとそう. なります。色々な属性の,そしてまあある程度元気で同意が得られる,意思疎通のできる高齢者が協. 力者であったということで,本当に運が良かったというか,市川の方にはとても感謝しています。. 鈴木:標準化作業の検査は,松岡先生ご自身が実施されたのですか。. 松岡:はい,基本的には私が。. 鈴木:全部実施されたんですか。大変なお仕事ですね。JART はしっかりと標準化の手続きに従って. 作成された検査のように思います。松岡先生は心理学出身ではいらっしゃらないですけど,心理検査. の作成手続,標準化の方法はどちらで学ばれたんでしょうか。. 松岡:これは精神医学に掲載された最初の調査(松岡他,2002)を経て,その反省といろいろな先生. の意見も入っていると思いますね。自分では思いつかないような。例えば CES-D を入れなさいと言. った先生がいたのですが,検査が増えちゃうと思ったんですけど,これは本当にやって良かったとい. う気がします。. 鈴木:研究計画も松岡先生が立てたのでしょうか。. 松岡:金先生と一緒に計画を立てました。流動研究員は終わっていましたが金先生のところへ週に何. 日か行って研究をさせてもらっていたんですね。. 鈴木:認知症群の協力者も,松岡先生が病院に出向いて取られたんですか。. より東京大学大学院医学系研究科精神医学教授(笠井,2019)。. 118. 松岡:もの忘れ外来でもルーティンで WAIS とかをやっていたので,そちらで許可を得て実施しま. した。. 鈴木:検査開発で,テスターも計画立案も全部を手掛けた先生に初めてお会いしたように思います。. 最近の検査開発は,大規模な標準化が必要とされることもあり,専門家集団による分業で行われてい. る印象があります。でも JART は,松岡先生が手作りで開発された検査なんですね。. 松岡:そうですね。ほとんどは私が検査をしていますね。. JART の改訂. 鈴木:知能検査という観点からみると,知能検査は何年かおきに改訂が必要になってくると思うんで. すが,熟字訓だと改訂もあまり必要ないという利点がありそうです。. 松岡:いえ,標準化の対象が WAIS-R ですから。. 鈴木:世代によって,漢字を読めたり読めなかったりすることがあるのでしょうか。. 松岡:そうですね。精神医学に掲載された予備研究では,世代差はあまりなかったですね。. 名取:単語の難易度のようなもののバラつきが取れていると書いてありました。今,原版を見せてい. ただいて,知らない単語から,HEIR とか誰でも読めるだろうと思える単語まであり,原版もバラつ. いてるんだなと思いました。今の話と関連すると,長く使っていくと,「案山子 か か し. って何?」というよ. うな世代が出てきて,難易度が変わっちゃうのではないかと思ったんですが。. 松岡:たしかに,昔は読めても今は読みにくいものがあります,「足袋 た び. 」とか。. 名取:安定的な難易度をもっているとはいえ,より広い意味で,世代で難易度の変化はあるかなと。. 一般的な床効果というか,みんなが読めないから答えが出ないことがあるのではないかと。. 松岡:ああ,でもたしかに,どちらかといえば上にきめ細かい検査というか,評点がゼロでも IQ が. 70 台までいってしまう。逆に全部正答する人はあまりいないんです。そういう意味でもう少し易し. い単語があった方が良かったですね。. 名取:海外で作られた検査を日本に持ってきたときに,同じものを測定しているのかという話が,妥. 当性の問題の話になってくると思うんですけど。. 鈴木:等質性があるかどうか,国際比較の際に問題がないのかという話ですね。. 名取:翻訳したらそのまま同じものが測定できるというものじゃないですよね。「髪」と書いてあっ. たら「髪」と答える。これは,「HAIR」でとろうとしてるのと「髪」でとろうとしてるので違います. よね。そこで交差妥当性という考え方を妥当性で使われていらっしゃるんですよね。構成概念妥当性. を測る時に,心理の検査だと同じようなものを測っていると言われているものとの相関係数をとり,. ある程度の高さの係数があったら妥当性があるとなる。ひとつお聞きしたかったのは,人口統計学的. な指標と IQ を海外ではみると思うんですが,日本ではそれがなかなか取れない。. 松岡:Barona’s equation14というデモグラフィックな変数を独立変数として病前 IQ を推定する方程. 14 Barona’s equation,BI(Barona Index)。人口統計学的データに基づき,年齢,性別,人種,教育. 歴,職業など社会階層を独立変数とする IQ 予測のための式(植月他,2006)。. 119. 式があるそうですが,日本では,この変数が何をとるのかが難しいですね。. JART で測定しているのは何か. 鈴木:そもそも JART は病前の知能,若い頃の知能を検討することが特徴ですよね。. 松岡:うーん,それが知能と言っていいのかがなかなか分からないですけど,まあ若い頃でもなく,. その方がお持ちの単語読みの知識というものを評価できるのかなと思います。. 鈴木:知能と一緒と考えたらいいのでしょうか。JART では,単語読みの得点と IQ の関係を見てら. っしゃるけれども,予測が出来る,相関が強いという狭い意味の範囲で考えたらいいのか,もっと広. く JART で測定するものを知能の一端と考えたらよいのか,考え詰めると難しい問題だと思います。. でも,臨床上はすごく必要な情報です。単語読みの評価の検査と限定して考えるべき検査なのかどう. か悩みます。. 松岡:作った側の方として、やっぱりすごく慎重になります。. 鈴木:さらに,NART と JART についても単に翻訳改訂版としてよいのか,日本語の漢字を処理し. て読みとして出力する脳の部分と,原版である NART のアルファベットを処理する部分が一緒なの. かと考え始めると難しいと思いました。そこは検討されている研究者がいるのでしょうか。. 松岡:そうですね。日本語の漢字,あるいは平仮名の読みですとか発音についての研究は数多くなさ. れていると思います。NART の英単語と同じかどうかというのは,私もそんなに詳しいわけではな. くて。. 鈴木: JART と NART が等価かどうか。NART を日本語で改訂するにあたって,漢字で作られたけ. ど,もしかすると NART とは全然別のものを測定する検査を作っていらっしゃる可能性があると思. ったんです。臨床での用途は同じなので有用性という点では全く違いはないですが。私自身が,脳に. 関する勉強が不足しているのでしっかりと議論が出来ないんですけども,用途が同じだけども違う. ものを測定しているとしたら,むしろそこが面白いなと思ったんです。. 松岡:そうですね。. 鈴木:失語症の研究などでは,漢字の処理を行う脳の部分と,平仮名の処理を行う部分が違うとか,. 日本人の脳と欧米人のアルファベットを使う人達の脳が違うとか話があるようですが,そう考える. と,実はちょっと違う性質のものを測定しているのかもしれない。でも,臨床上は,NART も JART. も,同じように病気で侵されてしまった以前の何かを測定する唯一のツールとなっていると思って,. とても面白く感じました。. 名取:日本人は他の国の人よりも書字読字障害が少ないという話があります。例えば,英語圏では発. 音と綴りが違うものが多いから,HAIR が綴れないというデータもあります。JART の作成過程の中. で,「じゃあ熟字訓だ」と考えたのがすごいと思います。平仮名でやってしまったら,このような結. 果にならないと思いました。. 鈴木:平仮名が読めるかどうかというのは,失語症の検査になってしまう。病気や怪我の前の状態を. 知りたい,推測したいという場面で使えなくなってしまいます。熟字訓を使うという発想もそうです. が,文化への適応,海外との違いを考えると JART は面白いです。. 松岡:そうですね。私も最近の JART を引用した論文を見ていたら,韓国で同じようなものが作られ. ていました。Korean Adult Reading Test(KART)という検査(Yi et al., 2017)で,文字と音韻の関係が. 120. イレギュラーな単語を選択したそうです。私自身,あんまりそれぞれの国の言語システムが分からな. いですけど,なんていうんでしょう,全然言葉システムは違うはずなのに同じような発想の検査があ. ちこちでできているというのは面白いなと思います。. 名取:JART は学力と高い相関が想定される概念ですけど,それを知能というのでしょうか。. 鈴木:知能を測っているのとは違うのではないかということでしょうか?. 名取:ちょっと違いますね。病前 IQ と論文の中で表現されていますけど,JART は一体何を測定し. ているのか。統合失調症の方で,能力が障害される方とそうじゃない方がいらっしゃる,その病前の. 能力に類似したものを測って,回帰式で表現する。交差妥当性でいうと 100 名の参加者の中からラ. ンダムに取り出した 50 名で重回帰分析によるモデルを作って,そのモデルによって切片と回帰係数. が出てくる。この重回帰式によって,残る 50 名の成績を予測している。この切片と係数が NART は. どうなのかうかがいたかったんですが,見せていただいた資料だと,NART の切片は 120 くらいの. 程度で,JART での値と近いんですよ。回帰係数も 0.8 とか。特に切片が同じくらいで 120 程度のと. ころから上下となっている。決定係数を見ると,予測の効果が高い。. 鈴木:そうすると脳内で課題が処理される場所がどこかという話は置いておいて,やっぱり同じもの. を測っているだろうという結論になるんですね。. 名取:そうだろうと思います。. 鈴木:面白いですね。これは,ハングルも含めて各国改訂版を全部並べてみて,係数がどうなのかを. 見比べるだけでも,何が世界共通なのかという議論に展開しそうですね。だいたい数値が近ければ,. NART と同じようなものを作っていると,数値的には近いものですといえることですね。. 名取:同じくらいの予測率を持つものを取っているということですよね。. 臨床での利用. 鈴木:松岡先生ご自身は,JART を臨床で使う機会はありますか。. 松岡:そうですね。高次脳機能障害のクライアントさんに実施もするんですが,交通事故の方は漢字. 熟語の音読能力が落ちている印象のある方がいらっしゃいます。やっぱり認知症,記憶障害を主体と. するアルツハイマー病の方とは違うかもしれないと思っています。(高次脳機能障害の方は)病前の. 能力でなく,現在の漢字の能力ということになってしまう。まあこれもちょっと証明出来ないんです. が,測定しているものが病前の能力かどうかは妥当性が分からないと思って。. 名取:認知症の方も,維持されるとは言え,評価が難しいと論文(松岡他,2002)にありました。. 松岡:そうですね。特に交通事故の脳の障害の負い方と,アルツハイマー病のような変性疾患とでは. やっぱりメカニズムが違うから,脳外傷の人は数値が何を意味しているのかが難しいと思って,病前. IQ の評価としては,あまりやってないですね。. 名取:それぞれの疾患によって,同じ数値でも意味するところが違いますよね。健常の方に取れば前. から維持されていると考えられるから,以前から続いて変わらない過去の IQ と言えるけど,そうは. 言っても実際に測定しているのは,現在の能力ですし。. 鈴木:交通事故だと,漢字を処理する部分が障害を受けたり,読んで声に出す部分とか,失語症検査. の対象となる部分に障害があるということもあるんでしょうかね。. 松岡:ありうるでしょうね。. 121. 鈴木:統合失調症を対象とした臨床や研究を行う人は,病前の患者さんがどうだったのかについて知. りたいと思いますよね。. 松岡:JART は漢字熟語ですけど,統合失調症の方を臨床で見ていて,それぞれの方がお持ちの能力. はそれぞれで,支援者はそれを引き出そうと頑張っていて,まあ JART みたいなのもそのうちの一つ. であってと思います。楽器でも美術でも手先の器用さでも,残っているものは,統合失調症の方なん. かはすごいなと臨床では思わされたりしますね。. 名取:元々持っているものを評価することで関わりにも使えるってことですよね。. JART の普及. 鈴木:JART は多く使われているんでしょうか。. 松岡:はい。かなり使われていると聞いております。. 鈴木:発表されてすぐに流通したんでしょうか。. 松岡:JART を使ったここ 10 年くらいの研究を見てみると,やはり笠井先生が統合失調症の方にも. 使えると言ってくれたのが大きくて,本当は標準化を高齢者の方のみでやっているんですけれども,. 今は自閉症ですとか,高齢者ではない対象で使われていることが多いという印象はあります。. 鈴木:たしかに,高齢者でアルツハイマーの方を評価する場合は,MMSE か長谷川式を実施して終. わることが多いような気がします。前からの差分,元々の持ち前の知能からどのくらい下がっている. かということが介護保険に反映される訳ではなくて,現状がどうであるかということで介護保険の. 判定となる。それならば,昔はどうだったのかに関心があるのは,他の障害の人達ですね。. 松岡:あとは,元の知能だけでなく,研究する時の 2 群に知的機能に差がないということを言うため. にこれを使っている研究が最近は多いなと思いました。. 鈴木:研究で使われてるのですね。私は,臨床で精神鑑定の検査で使用して大変有用だと思ったので. すが,たしかに,病前の能力と現在の能力を評価しなければならない臨床場面はそんなにないんです. ね。精神鑑定では,例えば,薬物や病気で認知機能が低下している人が昔どうだったのか,推定した. いことがあって,そういうときに使用しています。教育歴だけから推定するよりも,少しでも客観的. な指標として JART を用いています。. 知能観・認知観. 鈴木:松岡先生の知能観をお聞かせください。. 松岡:私自身はきちんと心理を学んだりしている訳でもないので,知能観というのはなかなかまとま. らない感じがありますね。まだ自分の知識も乏しかった若い頃に,臨床現場で知能を測る仕事の要求. から,ビネーやウェクスラーの知能観を身につけてゆきましたが,知能って何だろうと考え続ける. 日々でした。ガードナーの多重知能理論にはかなり影響を受けました。音楽や運動も知能に含まれて. いることに感動を覚えました。人生経験を重ねると,脳に障がいを負った方だけでなく,芸術家や文. 筆家,専門職の方,繊細な方など,バラエティ豊かな方々に出会い,それぞれのもつ能力がそれぞれ. に素晴らしく,それを知能と呼んでよいのかわかりませんが,人間の能力というのははかりしれない. ものがあると感じています。検査を作っておいてなんですけど,もう少し多様な知能観というのがあ. ってもいいなあというのはよく思うことですよね。. 122. 鈴木:どうもありがとうございました。. 終わりに. 本研究では,NART の日本語版である,JART を開発した蒲田寺子屋の松岡恵子へのインタビュー. を報告した。インタビューでは,松岡自身の経歴と JART 開発への経緯,開発作業における問題作成. や標準化手続きの工夫,知能観等が語られた。以上のインタビューを概観すると,JART について,. 次の特徴が浮かび上がってくる。. 第一の特徴は,他の知能検査への依存である。心理学における一般的な標準テストとは異なり,. JART では,標本抽出理論にもとづいた標本集団への本テストの施行が行われておらず,本テストの. 結果から作成した評価基準(塗師,1973)が存在しない。そのため,JART 自体の評価基準に照らし. て得点を解釈すること(野口,1999)は不可能である。JART で示される結果は,ウェクスラー式知. 能検査である WAIS-R によって示される IQ 値の予測値である。つまり,標準化検査で基準関連妥当. 性として示される,関連する外的基準の測定結果との対応が JART の得点の解釈となる。解釈を. WAIS-R に大きく依存した検査といえる。. 次に,日本語の言語特性の影響が想定されるのも JART の特徴といえる。1982 年に Nelson が開発. した NART は,JART を含め複数の国で複数の言語版が作成された。これら複数の言語版は,各言. 語から選出された不規則読みを項目とするため,異なる言語で作成された各国版を等価とみなすこ. とが可能かという疑問が生じる。例えば,神経心理学分野における失語症の研究では,漢字と仮名の. 失書失読に解離があるという漢字・仮名問題が議論されている(杉下,2000)。漢字とアルファベッ. ト・仮名は脳内の処理が異なるという意見もみられる(板東,2000; カイザー,1996)。また,読み. 書き障害についての研究では,日本人の識字率は他国よりも高く,それはモーラで区切られる日本語. の言語の特徴が影響しているためとの指摘もある(松田,鈴木,長濱,翁,平川,2006)。これらの. 報告からは,JART で使用する漢字の音読と,各国版で使用されるアルファベットの単語の読みが,. 異なる脳内の処理能力を測定している可能性や,日本語の言語学的特性が結果に影響を与えている. 可能性が導かれる。以上の論理からは,JART を NART と等価としてみなすのは難しい。. だが,インタビュアーが「(IQ 推定値を予測する重回帰式による)この切片と係数が NART はど. うなのかうかがいたかったんですが,見せていただいた資料だと,NART の切片は 120 くらいの程. 度で,JART での値と近いんですよ。(略)決定係数を見ると,予測の効果が高い。」と述べているよ. うに,結果的には NART と JART は同じ程度に推定 IQ を予測できる検査となっている。さらに,. 他の検査では推測不能な,認知症や統合失調症の発症前の知的水準を把握できるという意味で臨床. 的有用性は非常に高い。JART は,心理学者が作成する知能検査とは異なり,理論を持たず解釈は他. 検査へ依存するが,実用性の観点からは非常に重要な検査といえる。. なお,このインタビューは,医学領域における心理検査の開発と,心理学者による心理検査の開発. の相違を端的に示している点でも興味深い。心理学領域では,心理検査の開発を心理学者の仕事とし. て捉え,研究者自身の研究テーマとしていることが特徴である。例えば,WAIS,WISC 等の日本版. の開発者であった品川不二郎は,研究室の先輩による仕事に憧れてジャワで知能検査の研究を行っ. た後に,偶然出会った WISC を輸入し改訂した(鈴木・鈴木・安齋,2016)。田中ビネ―V の開発に. 携わった大川・中村,WAISⅢを開発した山中,K-ABCⅡを開発した服部は,心理検査の開発のため. 123. に専門家集団や研究所に参加した(鈴木,2017b; 鈴木・小泉,2019; 鈴木・安齋,2020)。偶然が作. 用した部分はあっても,知能検査の開発を心理学者である自分の責務として感じるようになってい. る。. 一方で,医学領域における開発では,研究室が取り組む研究プロジェクトや臨床のなかで,使用可. 能なツールが必要であったため作成したという経緯が多く,検査開発自体が研究機関や開発者の主. 要な研究テーマとはなっていない。インタビューのなかで松岡は,国立精神・神経センター精神保健. 研究所に勤務しているときに,「金先生がちょっと作ってみたらどうかと勧めてくださった」ことが. JART の開発の経緯だと述べた。JART50 から JART25 に改訂した理由についても,「私としては最. 初予定がなかったんですが,やはり東大の笠井清登先生がぜひ 25 で作って欲しいという,持ってい. るデータから 25 でもある程度はできるという妥当性をぜひ一緒に出して欲しいというご依頼があっ. た記憶があります」と述べた。ここでは,研究員としての作業や研究者からの要望が,結果的に心理. 検査の開発と改訂の契機となったことがうかがえる。HDS を開発した長谷川和夫も同様で,HDS 開. 発の経緯について,「新福先生が,『長谷川君,認知症の診断は,正常だったものを,ここから認知症. とするわけで,その切れ目をどこにするかというためには,あなたの診断が昨日と今日とでブレがあ. るといけないので,スケールを作りなさい。』と言われたのです。」「そのような経緯によるので,私. のアイデアではなくて,新福先生の,認知症の人の知能検査的なものを作るというアイデアです。」. (鈴木・溝口,2015)と述べている。以上のように,研究機関で研究や臨床に役立つツールを必要に. 応じて作成したことが,結果として心理検査の開発となるという経緯は,医学領域における通常の流. れといえる。. また,プラグマティズムに基づいた検査用途の限局化(鈴木・溝口,2015)も,医学における検査. 開発の特徴といえる。長谷川は,HDS を医師の診断の補助に過ぎず,問診や観察を補足するものと. して位置づけた。知能検査は,その発展の過程で,知能の本質についての議論が深化したが,長谷川. にとっては HDS の開発が認知機能の思索を導いたわけではない。同様に松岡も,JART の測定する. ものについて「それが知能と言っていいのかがなかなか分からないですけど,まあ若い頃でもなく,. その方がお持ちの単語読みの知識というものを評価できるのかなと思います。」と謙虚に定義し,. JART が認知機能や知能の本質を示すものとは考えていない。臨床的有用性を重視して作成した測度. であるからこその言葉ともいえる。知能の本質の探究を目指した心理学と,プラグマティズムに基づ. いた医学との相違が,検査開発者の言葉にあらわれているといえよう。. 謝辞. 松岡恵子先生には,長時間のインタビューにご協力をいただいた。また,金吉晴先生には,松岡先. 生へのご紹介および本論文の確認の労をお取りいただいた。深く感謝の意を表します。. 【文献】. 板東 充秋 (2000). 漢字・仮名問題, 認知神経科学, 2, 144-147. . Colombo, L., Brivio, C., Benaglio, I., Siri S., & Cappa, S. F. (2000). Alzheimer patients' ability to read. words with irregular stress, Cortex, 36, 703-714.. 藤 井 正 子 (2019). 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