高野山金剛三昧院蔵『十臂弁財天法』の翻刻と紹介

全文

(1)

高野山金剛三昧院蔵『十臂弁財天法』の翻刻と紹介

著者 鳥谷 武史

雑誌名 人間社会環境研究 = Human and

socio‑environmental studies

号 33

ページ 57‑47

発行年 2017‑03‑28

URL http://hdl.handle.net/2297/47176

(2)

要旨本稿は︑高野山金剛三昧院の聖教中より見いだされた﹁十臂弁財天

法﹄について︑その翻刻と紹介を目的としたものである︒本史料は︑

俗に天川弁才天と呼ばれる十臂の蛇頭人身形弁才天に関する修法の次

第を書き記したものであり︑現在は高野山大学図書館に寄託されてい

る︒金剛三昧院の聖教中には︑本史料以外にも十臂弁才天に関わる史

料が伝存しており︑それらは一五世紀の末から一六世紀にかけて転写

されたものと考えられる︒

類本としては︑先行研究にて紹介された高野山親王院蔵﹃十臂弁才

天次第口訣﹄があり︑同一の祖本を持つ写本である可能性が考えられ

る︒また︑十臂弁才天の由緒を物語形式で記す吉田文庫蔵﹁仏説大弁

才天女経﹄は︑本経と一具のものとされていた可能性がある︒

本史料の内容は︑十臂弁才天を本尊とする修法の過程を時系列に記

述したものだが︑特筆すべきは︑その中で示される十臂弁才天の尊容

および春属が︑天川弁才天曼茶羅と共通する点である︒また︑その制

作にあたっては︑﹃金峰山秘密伝﹄が参照された形跡が見出される︒

一六世紀の南都では十臂弁才天の絵画作例が複数制作されており︑

一方で本史料をはじめとする聖教が同時期の高野山で制作されている

ことを考え合わせれば︑この二所が十臂弁才天信仰の拠点であったと

考えられ︑その両所を行場としていた当山派修験者が︑信仰の伝播者

になっていたと考えられる︒

高野山金剛三昧院蔵﹁十臂弁財天法﹄の翻刻と紹介

本稿は︑高野山金剛三昧院の聖教中より見いだされた﹃十臂弁財天

法﹂について︑その翻刻と紹介を目的としたものである︒本史料は︑

俗に天川弁才天と呼ばれる十臂の蛇頭人身形弁才天︵以下︑十臂弁才

天に統一する︶に関わる修法の過程を記した次第である︒体裁は︑縦

一六・八センチ︑横一六・○センチ︑全一八丁を紐で綴じた枡形本であ

り︑表紙左上に﹁十臂辨財天法﹂︑右下に﹁長老坊仙弘謀己︑内題に

﹁辨財天十臂次第﹂とあり︑奥書は﹁天文二○年︵一五五二壬子九

月一日書之﹂とされる︒

本史料は︑高野山金剛三昧院が所蔵し︑現在は高野山大学図書館に

寄託されている︒目録類を参照すると︑﹁仏書解説大辞典﹄第五巻︽|︸

に金剛三昧院所蔵の﹁十譽辨財天法﹂なる史料が紹介され︑﹃国書総

目録﹄第四巻︷:︸にも同じく﹁十譽辨財天法﹂の名で紹介される︒本

史料は表題二字目に難読文字を用いており︑実見したところ﹁臂﹂の

異体字と見られ︑十臂の弁才天を主軸に記述されていることから︑正

しくは﹃十臂弁財天法﹄とすべきであろう︒

はじめに

キーワード

天川弁才天︑十臂弁才天︑高野山金剛三昧院︑当山派修験 人間社会環境研究科人間社会環境学専攻

烏谷武史

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人間社会環境研究第33号2017.3 (2) 56

類本

金剛三昧院の聖教中には︑本史料以外にも十臂弁才天に関わる史料

が伝存している︒表題と筆者のみを挙げると︑①﹁8亀神十臂次第﹂

︵長祐︶︑②﹃辨財天供十臂﹄︵良識︶︑③﹁大辨財天女経井表白神分﹂

︵快英︶︑④﹁弁才天天川﹂︵良識︶の四点が︑管見の限り見出され︑

これらは︑⑤﹃弁才天三宝院﹄︵良恩︶と表題のある八臂宇賀弁才天

経とともに︑﹃辨才天秘法種々﹄と書かれた紙で一括されている︒⑤

は同寺第三十代長老の永智房良恩︑②④は三十一代長老の善識房良識

によって筆記されたとみられ︑ともに一五世紀後半から一六世紀前半

の人物である︒

①②は︑細かい差異があるものの︑おおよそ﹃十臂弁財天法﹂より︑

﹁表白﹂﹁入我我入﹂﹁塔印﹂を省略し︑﹁結願作法﹂以下を削った形となっ

ており︑あるいは︑これを増補したのが﹃十臂弁財天法﹂であるかも

しれない︒なお︑②の末尾には︑﹃十臂弁財天法﹄の﹁本書日﹂にあ

たる文章が異筆によって加えられている︒③は後述の吉田文庫蔵﹃仏

説大弁才天女経﹄の厳島に関わる部分を削り︑後半に表白を増補した

構成となっており︑奥書からは︑快英なる僧が︑天文一四年︵一五四五︶

に筆写したことがわかる︒また︑④は八臂弁才天の修法次第だが︑道

場観などが後述の﹁金峰山秘密伝﹂下巻﹁大弁才功徳天法﹂に共通し︑

これを増補したものと考えられる︒

他に本史料の類本として注目されるのは︑大森照龍氏が紹介された

高野山親王院蔵﹃十臂弁才天次第口訣﹄二帖である︽:一︒大森氏の解

説によれば︑十臂弁才天に関する修法次第であり︑尊容や春属に関す

る記述のほか︑法光大師真雅の名が見出される点も共通している︒た

だし︑同口訣の奥書は﹁第一の転写を﹁天正八年︵一五八○ことし︑

本帖を﹁貞享四年︵一六八七︶﹂の第二転写﹂とする一方で︑﹁十臂弁

財天法﹄には天文二○年︵一五五二九月一日の奥書があることから︑ また︑中世に遡る十臂弁才天関係偽経としては︑伊藤聡氏によって

紹介された吉田文庫蔵﹃仏説大弁才天女経﹂がある︷川一︒冒頭には﹁安

藝ノイック鴫ノ大辮才天ノ祭文﹂とあり︑奥書によれば︑大永六年

︵一五二六︶に﹁宥日﹂なる僧が記し︑﹁福智院﹂に所蔵されていた本を︑

大永七年︵一五二七︶に吉田兼満が写したものという︒本経が﹁十臂

弁財天法﹄と共通するのは︑文字通り十臂弁才天の尊形を記す点であ

る︒伊藤氏による要旨を引用すれば︑﹁尊容の説明の後︑如来これを

讃じて︑我滅度の後もこの弁才天女︑その手にしたる如意宝珠の秘法

を以て一切衆生を救わんと証し︑その印呪を示し︑彼本は妙音天であ

り︑後に普見仏と成ぜんことを授記する﹂といった構成となっている︒

尊形に関する内容は﹃十臂弁財天法﹂の道場観に共通するものの︑前

後の文脈などに異なる部分が多く︑また︑天川弁才天曼茶羅をもとに

作成された可能性が高いという︒たしかに︑﹁十臂弁財天法﹄の道場

観において﹁三王子﹂﹁水火二天﹂﹁吉祥訶利帝﹂とされる春属を︑そ

れぞれ﹁蛇頭ノ人形ノ立像﹂﹁女人﹂﹁天女﹂と表記するなど︑天川弁

才天曼茶羅に描かれたままを記述しているかのような表現である︒以

上のように︑両者の間には相違が認められるが︑﹃十臂弁財天法﹂の

二丁表内題下に﹁付十臂弁財天女經﹂とあることに着目すると︑本来

は一具になっていた可能性がある︒ 後者は前者の第一転写時期よりも先んじて筆記されたことがわかる︒翻刻は掲載されておらず︑諸事情により実見することがかなわなかったため︑現時点では比較する手段がないが︑﹁十臂弁財天法﹄は︑﹃十臂弁才天次第口訣﹂の祖本︑もしくは同一の祖本を持つ写本である可能性が考えられよう︒

﹃仏説大弁財天女経﹄との関係

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﹃十臂弁財天法﹄の内容は︑十臂弁才天を本尊とする修法の過程を

時系列に記述したものである︒壇前での普礼から始まり︑印呪・表白

など︑道場観を含む一連の作法を述べ︑後半には︑結願作法のほか︑

同修法の由緒を語り︑最後に真雅に仮託した口伝が記される︒特筆す

べきは︑道場観を中心に述べられる十臂弁才天の尊容および春属が︑

親王院・能満院・石山寺などに所蔵される天川弁才天曼茶羅と共通す

る点で︑先述の﹃十臂弁才天次第口訣﹂︑﹃仏説大弁才天女経﹄と並び︑

同曼茶羅と直接的な関係を有する数少ない史料に挙げられよう︒

実際の作例と比較すると︑十臂の持物は︑左第一手を如意宝珠︑第

二手を俵︑第三手を乳粥︑第四手を宝珠︑第五手を宝経︑右第一手を

如意宝珠︑第二手を釜︑第三手を甘露︑第四手を宝珠︑第五手を縊と

する︒また︑三体の蛇頭人身像は三王子といい︑印呪により︑第一

王子が玉女神︑第二王子が愛敬神︑第三王子が大黒天に配当されてい

ることがわかる︒足元および左右の女性像は︑前者が水天・火天︑後

者が吉祥天・訶梨帝母であることがわかり︑その他︑弁才天の周囲に

台・瓶・宝珠・牛王を配するという︒弁才天の尊容に加え︑春属も後

述の弁才天三部経と異なっており︑三大王子・四大春属︵水天・火天・

吉祥天・訶梨帝母︶・迦楼羅・善女龍王・十五童子のうち︑十五童子

以外は三部経に見られない尊格である︒

この道場観に関して注目される史料が︑﹁金峰山秘密伝﹄である︵五︶︒

同書は三巻本の体裁をとり︑宮家準氏の論によれば︑真言系修験者に

よって十三世紀末に撰修されていたものを︑弘真房文観が後醍醐天皇

に進上したものである︵レハ︶︒上巻﹁天河弁才天習事﹂では︑本地・尊

像などを記すが︑像容は二臂・八臂・六臂の弁才天のみに触れ︑十

臂に関しては﹁又有二十臂ノ像一・尋し之突﹂との指摘に止まる︒また︑

下巻﹁大弁才功徳天法﹂においても︑十臂の存在は示唆されるものの︑

道場観と天川弁財天曼禁羅

像容に関する記述はなく︑道場観は︑八臂弁才天の像容が述べられるにとどまっているが︑像容︑春属︑軍神的性格を示す内容以外の記述は︑﹃十臂弁財天法﹄の道場観と全く一致している︒さらに︑﹁大弁才功徳天法﹂においては︑三種の種子が宮殿・蓮華・宝珠に変じ︑弁才天となることが語られるが︑﹁十臂弁財天法﹄の道場観の中でも︑種子は異なるものの︑同様の過程が語られている︒よって︑﹃十臂弁財天法﹄が制作されるにあたあっては︑﹃金峰山秘密伝﹄︑あるいはそれに類する史料が参照されたと考えられよう︒

一六丁表より一六丁裏にかけて︑﹁本記日﹂とされる十臂弁才天お

よびその修法にまつわる由緒が示されている︒それによれば︑十臂弁

才天は﹁弁財天七經﹂のうちにはない特殊な尊容をしており︑﹁東寺

一家ノ持尊﹂であり︑天川は並びない霊地であるために︑空海は同地

において七年の修行をおこない︑ひとえに十臂弁才天の法によって高

野山を開山したという︒また︑天川は役行者によって開かれ︑その後

に続く参詣者は一人として所願成就しない者はおらず︑この修法をお

こなった者は悉く願いが叶うとされる︒

﹁弁財天七經﹂については︑その具体名が挙げられないが︑天川弁

才天以外の尊形をとる弁才天を記述したものであるらしい︒中世以降︑

弁才天関係経典の主流となったものに︑﹁仏説最勝護国宇賀耶頓得如

意宝珠陀羅尼経﹄﹃仏説即身貧転福得円満宇賀神将菩薩白蛇示現三日

成就経﹄﹃仏説宇賀神王福得円満陀羅尼経﹄︑﹃仏説大宇賀神功徳弁才

天経﹄﹃大弁才天女秘密陀羅尼経﹄があり︑前三経を合わせて﹁弁才

天三部経﹂︑さらに後二経を加えて﹁弁才天五部経﹂と呼ばれる︒三

部経に含まれる三経に比して︑五部経で加えられる二経は比較的後の

時代に作られたとの指摘もある︵七︶︒それら呼称の成立時期に関して︑

高野山と南都の関係

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人間社会環境研究第33号2017.3

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伊藤聡氏は︑﹁三部経については貞享四年︵一六八七︶刊の潮音﹁弁

財天三部経疏﹂辺りからであり︑五部経についても貞享二年︵一六八五︶

成立の浄厳﹃大弁才天秘訣﹂下や元禄五年︵一六九二︶刊の瑞心﹃寂

照堂響集﹂第五に見えるのが早い例﹂と指摘している︽八一︒一方︑本

史料は︑伊藤氏が紹介される一七世紀後半の経典類に比して一世紀ほ

ど遡るため︑三部経・五部経との関係は不明である︒ただし︑四丁表

に﹁頓得経﹂の語が見えることから︑﹃仏説最勝護国宇賀耶頓得如意

宝珠陀羅尼経﹂︑﹁仏説宇賀神将十五王子頓得如意宝珠経﹂のいずれか

を含むものであろう︒なお︑この二経が異本関係にあたるとの指摘も

あるく九一︒

いずれにせよ︑本史料が高野山・天川との関係において語られるこ

とは重要である︒先述の﹁仏説大弁才天女経﹄奥書にある﹁福智院﹂

が高野山福智院を指すとすれば︑金剛三昧院蔵﹁十臂弁財天法﹄﹃大

辨財天女経井表白神分﹂︑親王院蔵﹃十臂弁才天次第口訣﹄のいずれ

もが︑一六世紀の高野山で制作されたものということになる︒

一方︑﹁大乗院寺社雑事記﹂長享元年︵一四八七︶十二月二十三日

条には︑興福寺大乗院門跡尋尊が松南院大輔清賢へ﹁天川弁才天圖繪﹂

の制作を依頼し︑同年二月二日に完成した旨が記録される︷十一︒さら

に︑永正元年︵一五○四︶九月六日条では︑堯仙房專秀に﹁天川弁才

天一幅﹂を譲渡したとある︷トー︒この﹁天川弁才天圖繪﹂については︑

十臂弁才天であるかを確認する術が無い︒しかし︑現在︑奈良県能満

院には二幅の天川弁才天曼茶羅が所蔵されており︑一幅は南都絵所吐

田座に属した琳賢によって︑天文一五年︵一五四六︶に制作されたも

のであり︑もう一幅は︑詫間法眼筆と伝えられるものの︑作風からは

一六世紀に南都絵所で制作されたものとみられる︒すなわち︑高野山

において遅くとも一六世紀初頭より十臂弁才天に関わる聖教が転写さ

れはじめる一方で︑南都では興福寺を中心として絵画作品が制作され

ているのである︒ 本史料の由緒が高野山の草創に天川をからめて語られることや︑真雅に仮託した口伝が末尾に記されることを考え合わせると︑一五世紀末から一六世紀半ばにかけて︑高野山および南都の真言系宗教者を中心に十臂弁才天の存在が認知され︑絵画作品や︑偽経・次第が制作さ 以上のことから︑天川・南都・高野山の三所が天川弁才天の信仰拠

点として挙げられる︒また︑この三所を行き来し︑十臂弁才天の信仰

伝播に主体的役割を果たしていた者として︑当山派修験者が想定され

よう︒当山派修験は︑熊野・天川・吉野︑そして南都を活動拠点とし

ており︑中世において急速に真言化がなされた興福寺や︑その末寺の

堂衆によって組織された一派である︒関口真規子氏によれば︑中世後

期に興福寺東西金堂衆の統率下から独立した当山派は︑以降も興福寺

との関係を持ち続けており︑さらには︑明応元年︵一四九二︶をさほ

ど遡らない時期に︑高野山・粉河寺・根来寺の行人が加入していった

という一十一︒高野山行人の当山派加入は︑十臂弁才天に関わる聖教が

転写されはじめる時期と重なるものであり︑このことが︑高野山にお

ける十臂弁才天信仰の受容をさらに加速させたと考えられよう︒

また︑本史料にまつわる口伝が︑空海の弟子であるとともに︑当山

派の流祖と仰がれる聖宝の師である真雅に仮託されていることも見逃

せない︒当山派修験者には︑新たに作られた十臂弁才天法の正当性を

示すべく︑具体的な相承を示す必要あったのではないだろうか︒すな

わち︑真雅に仮託した口伝を示すことで︑空海より真雅︑真雅より聖

宝︑聖宝より当山派修験者という︑一連の系譜を示すことが可能とな

るのである︒

まとめ

信仰の伝播者

(6)

都を中心に︑

と言えよう︒ れる機運が高まっていたと言えよう︒その両所を繋ぐ役割を果たしていたのが︑天川周辺を中心に活動していた当山派修験者だったと考えられる︒

天川弁才天に先んじて歴史の舞台に姿を表す宇賀弁才天は︑その信

仰形成に台密が深くかかわっていたことが︑山本ひろ子氏の研究に

よって明らかにされている︷l|:一・本史料の存在は︑そうした宇賀弁才

天が中世以降︑現代にいたるまで信仰されてきた一方で︑高野山・南

都を中心に︑真言系の弁才天信仰が形成されていたことを示している

L 二

︵五︶

︵一ハ︶

︵一︶

︵一一︶

︵一一一︶

一九九八︑

前掲註四 大森照龍﹁特別展における弁才天・茶吉尼天像について﹂﹃第十五回高野山大宝蔵展天部の諸尊﹂︑高野山霊宝館︑一九九四︑一五一八頁︒伊藤聡﹁吉田文庫所蔵の弁才天関係偽経について準その翻刻と紹介﹂﹁むろまち﹂第二集︑一九九三︑四○四六頁︒﹃増補改訂日本大蔵経﹂九三巻︑鈴木学術財団︑一九七六︒宮家準﹁金峰山秘密傳﹂﹁増補改訂日本大蔵経﹄九九巻︑鈴木学術財団︑一九七八︑二九一二九二頁︒山本ひろ子﹃異神率中世日本の秘教的世界﹄︑平凡社︑一九九八︑三二六五○二頁︒ ﹁仏書解説大辞典﹂五巻︑大東出版社︑王﹁国書総目録﹂四巻︑岩波書店︑一九九○︒ 九六四︑二○○頁︒

︹翻刻︺﹁十臂弁財天法﹂︵普六三金三四︶縦一六・八×横一六・○ ︹凡例︺

一︑本翻刻は︑金剛三昧院蔵・高野山大学図書館寄託﹃十臂弁財天﹂︵請

求番号/普六三金三四︶を底本とした︒

一︑原則として常用漢字を用い︑虫損・判読不能の文字は□にて示した︒

一︑割注部分は﹇﹈を付し︑改行部分を斜線にて示した︒

一︑改頁にあたっては︑下部に鉤括弧を付し︑︵︶内に丁数を示した︒

一︑合略仮名は常用仮名に改めた︒ ︵九︶伊藤聡﹁大須文庫蔵﹃宇賀神功能経﹂﹂﹁國學院大學日本文化研究所

紀要﹂七七︑一九九六︑二七一四八頁︒

︵土﹁大乗院寺社雑事記﹂九︑角川書店︑一九六四︑一七五頁︒

︵十二﹁大乗院寺社雑事記﹂一二︑角川書店︑一九六四︑一七頁︒

︵十三関口真規子﹃修験道教団成立史率当山派を通して﹄︑勉誠出版︑

二○○九︑一二九一七五頁︒

︵十三︶前掲註七

十臂辨財天法 長老坊仙弘誘I

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護身法後内五古印ニミヅチリチティう多扇刻季邸︑蒟列司向何何何可魚

某福徳成就審司誌﹂︵一・ウ︶

辨財天十臂次第﹇付十臂弁財天女経/最秘々々﹈

壇前普礼着座普礼 塗香護身法如常

加持香水﹇如常﹈加持供物﹇小三古印/呪日﹈

啼三婆羅々々畔藩︑暴

次小物成多印﹇左右手ヲ廣地虚空勢二/セョ上持し之真言﹈

彦係曳婆婆莪﹂︵二・オ︶

次一粒成多印﹇右施元畏﹈

萱多米々々吉里々々守衾

次一坏飯酒成多坏印﹇上同﹈

さ・I幕︑碕

次甘露﹇水輪印施元畏少動之﹈

販命・可寄︑義

次表白﹂︵二・ウ︶

敬白真言教主大日如来雨

部界會諸尊聖殊本尊

聖者大弁財天宇賀神将王

子三大王子四大春属井迦

留羅善女龍王十五童子部

類春属壼空法界一切三宝ノ

境界毎驚言ク令佛子希二受プ﹂︵三・オ︶

人身写幸二遇一寸密教二依テ入幸導

師門l流二版喜二密ノ教法一一一當二始テ

レ自︒今日二七ヶ日ノ之間タ修コア琉伽ノ

観1行与祈叩現當悉地ヲ然ハ則チ三 時観念ノ之間ニハ除コク四l魔三l障之怖萢一l印結縁之力一々ノ善願ヲ令︒成就円満一給ェ乃至法界平等利益

次神分次五悔等﹇如常﹈

次發願﹇金一丁﹈

至心發願唯願大日本尊界會 弁才天女善女龍王三大王︐子

四大春属井迦槙羅王十五童子

頓得經中諸春属等不捨本誓 所設供具哀感摂受護持弟子 消除災難増長福寿恒受快楽 元邊大願決定成就及以法界

平等利益次五大願普供養三力﹇金丁﹈

次大金剛輪次地結

次方結次道場観﹇定印/口伝弥陀﹈口傳在之観想セョ壇上二有刮諏字一反シテ成二七宝ノ宮殿斗内二有.熟字一変シテ成二荷葉座千々上二有︒扇字一反□成二宝珠非々々即チ舎利放幸元量ノ光明↓遍ク昭鎖法界↓能ク息才ム一切ノ災厄一光ノ中二雨吾切弥宝↓百味飲食名シ衣上服き切所修随三衆生ノ願︐樂一悉ク令ユ充足圭光ノ中ヨリ雨︒宝蓮華↓蓮ノ中ヨリ出写怯界一一一聲↓説︒

キク微妙法ヲ四弁八シテー音遍シ法l界二聞 ﹂︵五・オ︶ ﹂︵四・ウ︶ ﹂︵四・オ︶

l

、 − =

(8)

者ノ悉ク發聿大l心与即チ海中ノ諸ノ

山河ノ諸︐龍等佐一一︐助ス宝珠↓増︒

威光与雲ヲ發シテ天ヨリ雨二善風ご

雨写生二長ス天下万物与此即海

中龍l宮ノ宝珠与井二精進

峯﹇在口伝﹈冥會不︐ニヵ故此ノ宝︐珠

ナリ反シテ成ユ辮才天﹇伝産︾裁神﹈一其ノ形三頭蚫形

ラク身二着聿天l衣与頂上ニハ三裸如意

一フケ/宝珠アリ自四口三l裸吐ゴ如意写黒

色ニシテ具二1足セリ十臂写左ノ第一ノ手ニハ

持夛如意宝珠宅第二俵ヲ第三ハ

乳l粥第1四ハ宝I珠第五ハ宝經

右第一ノ手ニハ持二如意宝珠写第

二釜第三二甘露第四ハ宝珠

第五ハ鐙足二水火ノー天ヲ踏ミ左

右二吉祥訶利帝供二養ス天女与

三王子各ノセ弥万宝ヲ授ゴ衆生一一一

各ノ弛頭人形也上二有︒三角之

飯山一左l右二有.臺ト瓶手下二有︒

宝珠一又有︒牛王一元量ノ春属

前後左右二周遍囲饒セリ

次七虚加持﹇如来拳印﹈

次大虚空蔵印明

次小金剛輪

次送車路次召請﹇蓮華合掌二大指召小呪﹈

次四明次拍掌﹇如常﹈

次結界﹇弾指三度巽ヘスル﹈ ﹂︵五・ウ︶﹂︵七・オ︶

L一一

ノ、

﹂︵六・オ︶ アキヤナウセンチラボウチ二噂夛焚例裏●毒のざ菩底祢テイケツハウンハッタ帝結婆々々畔發旺

次虚空納次火院 次大三昧耶次閼伽﹇真言﹈

●謬保路々々水濃藤和鐙次花座﹇四葉印/口伝﹈販命・蕪

次振鈴﹇如常﹈次前供養 次埋供次事供

次讃﹇四智拍掌﹈次孔雀經讃﹇合常﹈ソトホタヤ曇莫準都冒駄耶ソ卜曇莫鐙都冒駄曳ホキタヤ曇莫鍾都目記多耶

雲莫鍾都目記多曳

センタ曇莫華都扇多耶

曇莫筆都扇多曳ビボキ曇莫箪都尾目記多耶

雲莫筆都尾目記多曳

次普供養﹇用虚空蔵明/求聞持ノ呪三返﹈三カ

次祈願次礼佛﹇合常﹈

南無摩訶毘盧遮那佛

南無本尊界會宇賀神王弁才天﹇三返﹈

南無十五王子井三王子四大春属

南無雨部界會一切諸佛菩薩

次入我々入﹇秘法界定印﹈

想我心月輪中二有︒鶏字一反成ユ

宝珠一々々則舎利ナリ放夛光明与遍ク

昭鎖法界与我ヵ己l躰宝珠ナリ光ノ中二雨三珠

宝↓施ヱフ衆生二宝珠反シテ成ユ宇賀神 ﹂︵七・ウ︶﹂︵八・ウ︶ ﹂︵八・オ︶﹂︵九・オ︶

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十臂天女当二大王子四大春属井

迦l留l羅善l女龍l王十五童子部

類春属我レ囲二緯シ本尊手本尊我ヵ身﹂︵九・ウ︶

中二入テ我ヲ加持シ玉フ亦本尊ノ御

身中入テ奉助販二l依本尊与故本尊

我一躰ニシテ万法成就圓満ス

次本尊加持﹇五種印明加次下次第在﹈

先大精進﹇宝印外縛二頭立合如二宝形一/二大指入掌/外縛二中二頭宝形﹈

アラタンナウマニハサラタラク童閃fl副刈戯可尋雛

次本尊﹇左右手合掌二中指外匁二頭/

宝形二大二頭側付之掌中開之﹈﹂︵十・オ︶

キヤ︑ナウウンハサラコク・夛何何舟●凍可葦埼

ウカヤロテイギャラヘイ又呪・冨多亀測噌帝薩陛

都司蚕次善女龍王印﹇左仰心置右挙覆/内二三廻有レ弛思へ﹈

含善女爽宇賀耶動嘩魚子禽﹇三返﹈

次迦留羅王印左拳腰二安右ヲ

拳心置大指上三度召﹇口云右頭指ヲ/形ヲ大指﹈﹂︵十・ウ︶

萱迦楼羅摩尼惹耶噌帝曳

醗咽饗V霞

次塔印﹇右大開鯏べ/左大開さ凸二空合立

剥j一風召誘︑霞

次塔印﹇左右ノ地水火ヲ開テ/悪恭悉ト三度召﹈閉テ・ぢぐら

葡到零4勺苅開証匁目羅

列雷項茄列雛孔某所願成就﹂︵十一・オ︶

誘︑袋次正念調﹇・争瓜唖イ鼻可争希﹈本尊呪

次字輪観法界定印

夷可f魚匂

次本尊加持如前 次舞迦鉢印販命称︑

次寶生印﹇外縛二中指宝形﹈アラタンナウウンハハ・多11牙詞T〃蜀紙

次宝菩薩﹇外縛二頭宝形﹈

ハサラアラタンナウヲン堂可系I寸劇堂

次愛染王印﹇外五古大呪用之﹈

啼摩訶羅我縛日羅誘尼濃

縛日羅薩筆婆惹畔鍜解蛍

皇罰卦可埼

次弁財天根本印﹇八葉印/十指ヲ宝殊十卜観スル﹈ソラソハテイ●ヲ創勇1鋼︑3凧刊1例﹃好く蕪

次十方法界宇賀召請印

左ヲ安し腰二右ヲ挙ンテ以頭指ヲ召

シヤヤキヤラヘィエィゲイキ啼惹野檗陛曳醗咽堺式誘

次第一王子玉女神﹇外五古印﹈

キヤテキヤカマニ

啼識底々々識訶々々摩尼曳堺劃於

次第二王子愛敬神﹇半敷蓮/口伝在﹈

壱豊郷寮笥恭福覆口

次第三王子﹇大黒天神印右刀印/左ヲ挙右腰二﹈

萱摩訶迦羅耶纂︑姦

次吉祥天女印﹇八葉印召之開蓮/合掌﹈

●雪摩訶室哩﹇二合﹂野曳苓︑論

次訶利帝﹇八葉印/口伝外二召テ﹈卜卜マソキヤキテイ・夛15剣ぼ何侭で祭︑毎

次水天火天惣印﹇左挙心置右開テ三/度向テ身二召テ﹈﹂︵十三・オ︶ ﹂︵十二・ウ︶ ﹂︵十二・オ︶ ﹂︵十一・ウ︶

(10)

結願作法一七日間奉勤行法結願當ユリ此ノ座一一一 毒アキャナウセンタラホウチニテイケッハ︑︑界八ツタ﹂︵十四・ウ︶伝拍掌

次三部三昧耶

次普礼﹇一丁﹂次被甲出堂 次溌遣弾指三度Rアラタンナウアクアク

彦爽fl珂発笠

ハサラタラン●ヲ可筆1t﹂︵十三・ウ︶

次散念調﹇佛眼廿一返大日台大精進/宝生宝菩薩本尊千返/三王子旺天聖天百返ッ︑/大金剛輪一字﹈次牛玉獣天根本印言

二手内縛二火立合二風付二天皆

口開立真言日ハサラタトキヤタ

雪司季可→何イ 次後供養先供養事供 閼伽後鈴讃﹇如前﹂﹂︵十四・オ︶

次普供養次三カ

次礼佛﹇如常﹈次廻向﹇取香呂﹈

次廻向方便次解界

大三院耶火院虚空納

結界四方結四臂呪弾指

次溌遣弾指三度﹇口伝云弾指セス﹈ マニサレイシヤヤ崎摩尼佐黎惹耶庵昨冬︑端

次韓禍与福印普印

キヤチハヅタ参郷御﹇已﹈・系發旺

次決定貧轄印﹇内縛五古印在口傳/右頭指以外ニハラウ﹈アロ旧ムチリチティ云豊亀剣夷伽侮種伺毒.薄

次万願成就印﹇外五古又大恵刀﹈

﹂︵十五・オ︶ 真雅口傳云傳受ノ時師ノ云此ノ尊行時ハ持佛堂ヲ各別ニシテ而懸︒幡花鬘号更二不可ラ入ル人号或ハ七日二百座或ハ百日二千座可レ行し之最上ノ悉地頓得ノ宝珠也云々

天文廿一年﹇壬子﹈九月一日書之 本記云此法者非二弁財天七經之内二又尊形非二常ノ尊二經︐軌之尊形奇特不思儀ノ秘尊東寺一家ノ持尊也然ニ天川元是生身弁才天之霊山三図双宝前彼所ハ是−大日如来所□經王ノ之霊︐地依し之弘法大師七年ノ久住之処也又入唐以後三年ノ間間勤行口已高野山建立偏二依二

エンノウ此ノ法二井經尊形者也最初役優

婆塞開二雲蕩一美後懸溝連参

詣之輩一人而元レ不三所願成就者又

行ル此法者元二悉地不二成就一努々穴賢

可秘云々﹇奥書在之﹈ 然者奉レ始二本尊界會佛部蓮花部諸春属等↓早ク成二就シ所願一本曼茶羅ノ位二可時給上者也抑自︒開白ノ始一至ユ造テ結願ノ今一一一定降臨影向シ玉フ﹇已下﹈神分

﹂︵十六・ウ︶ ﹂︵十六・オ︶ ﹂︵十五・ウ︶

(11)

人間社会環境研究第33号2017.3 (10)

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︹謝辞︺本紹介を作成するにあたって︑史料を所蔵される金剛三昧院をはじ

め︑管理される高野山大学図書館の各関係者の方々より格別の御高配

を賜りました︒ここに記して御礼申し上げます︒ 宮アラタンナウマニハサラ幹︑雪裂くタンナウサンハムハ丞●琴可雰裂くタンナラヲン十一丁︑言キャー︑ナウウンハサラコク又呪宮多魚ロテイキヤラヘイ堺蝿篭︵以降一丁白紙︶ ﹂︵十七・ウ︶ ﹂︵十七・オ︶

(12)

人間社会環境研究第33号2017.3

高野山金剛三昧院蔵『十臂弁財天法』の翻刻と紹介

人 間 社 会 環 境 研 究 科 人 間 社 会 環 境 学 専 攻

烏 谷 武 史

Anlnterpretationandnfanscriptionof

66Jippi‑Benzaiten‑Ho''PreservedattheKongosanmaiinTemple

TORITANITakefilmi

Abstract

ThispaperaimstointerpretGcJippi‑Benzaiten‑Ho''textpreservedattheKongosanmaiinT℃mpleand explainitscontents.Jippi‑benzaitenisadevawiththreesnakeheadsandtenanns,andthistextdescribes themethodoftheJippi‑benzaiten'srimal.ThetextispreservedbyKongosanmaiintemple,butisdeposited atKoyasanuniversitylibrary.TheKongosanmaiintemplehasseveraltextsaboutJippi‑benzaiten,written fromtheendofthel5thcenmrytothel6thcenmry.

GGJippi‑Benzaiten‑Shidai‑Kuketsu,''introducedbythepreviousstudy,ispreservedattheShinnointemple, andisanexampleofhow6GJippi‑Benzaiten‑Ho''wastransferred廿omthesametext.Ontheotherhand, 6<Bussetsu‑Benzaitennyo‑Kyo,''whichiswrittenaboutJippi‑benzaiteninnarrativefbnn,isconsideredthe scripturethataccompaniesG6Jippi‑Benzaiten‑Ho''.

"Jippi‑Benzaiten‑Ho''describesthemethodsoftheJippi‑benzaiten'sritualsequentially,anditis remarkablethatitscontentshavemuchincommonwiththeT℃nkawa‑benzaiten‑mandala(thepainting depictingJippi‑benzaiten).Itisbelievedthatthistextwaswrittenusingthe"Kinbusen‑Himitsu‑Den''as

reference.

SeveralpaintingsofJippi‑benzaitenwerecreatedinNarainthel6thcenmry.

ThetextsabouttheJippi‑benzaitenwerewritteninKoyasanduringthesameera.Amountainascetic calledTbzan‑ha,hadpropagatedthefaithofthebenzaiteninNara,Koyasan,andTbzan‑ha‑shugenja.

Keyword

Tenkawa‑benzaiten,Jippi‑benzaiten,KongosanmaiintempleinKoyacity,Tbzan‑ha‑shugen

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参照

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